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2014/09/14

■医療の何が「改革」されるべき

改革シリーズの最初は「医療を取り上げたいと思います。
昨日、小児外科医の松永さんに、「運命の子 トリソミー」のお話をしていただき、それをもとに話し合うサロンをやったばかりですので、そこで考えたことなども少し書きたいと思います。

私は以前から、医師中心の医療に疑問を持っています。
たとえば、2002年にホームページに医療のパラダイムシフトのことを少し書いています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/kousou2002kannsou.htm#am
そこで書いたのは、次の3点です。
①「医術基軸から看護基軸へ」
②「病気づくりから健康支援へ」
③「医療制度や医学知見に合わせる治療から個々の生命に合わせる治療(支援)へ」
当時はまだこなれていませんでしたが、妻が胃がんになり病院に足繁く通うようになって、その思いは深まりました。
結局、妻は病院ではなく、自宅で看取りましたが、幸いに近くの往診医やそこと連携した派遣看護師センターがよくしてくれました。

病院で感じたのは、よく言われるように、医師は患者を見ずに病気を診るということです。
幸いに、妻の最初の主治医は「人」を見ていましたが、病状が進行して交替した主治医は、診察時にほとんど妻の顔を見ずにパソコン画面を見て話をしていました。
「がん患者学」を著した柳原和子さんは、ただの人としてではなく、患者として付き合ってほしいと話していましたが、そこに込められた意味も大きいです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/katudoubannku2.htm#1014

先の医療のパラダイムシフト、つまり医療改革に関する基軸は、「病気治癒ではなく、命の輝きを支援するというのが医療」ということです。
昨日のサロンでも「いのち」という言葉が何回も出ました。
しかし、私の思いは「いのち」ではなく「命の輝き」です。

病気を治療することは大事なことです。
しかし、それは個人の人生のほんの一部かもしれません。
病気治療のために病院に隔離され、手術されたり薬漬けにされたりすることが、もし人生の邪魔をするのであれば、それが絶対視されるべきではありません。

私は、「大きな福祉」という理念で、ささやかな社会活動をしています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/comcare-message.htm#ookinahukusi
その視点から言えば、「医療」もまた「大きな福祉」の一手段でしかありません。
昨日、お話を聞いた松永医師は、治療行為だけではなく、障害児のいる家族の生活に寄り添う生き方をしています。
治療する方法が「医学的」には見つかっていない難病を持つ人に対して、治療パラダイムの医療は何もできません。
しかし、生活を支え、いわゆるQOL、生活の質を支える行為であれば、医師にできることはたくさんあります。
それに、命の輝きは時間で測るべきではありません。
いかに短命であろうと、輝く人生は長く続くのです。
松永医師の取り組みは、そのことの大切さを教えてくれます。

昨日のサロンの話と改革の話が、いささか混在してしまいました。

医療改革はさまざまな形で進んでいるようです。
しかし、病気治療を目指す医療から人間の暮らしの福祉を目指す医療へと、起点を変えない限り、事態は悪化こそすれ良くはならないような気がします。
医師を頂点にし、病院を主舞台とする日本の医療コンツェルンを見直し、新しい医療の役割や社会の中のポジションを考えるべき時期に来ているように思います。
そうすれば、おそらく医師のミッションも変わっていくでしょう。
私の周りでも、そうした動きの予兆が感じられます。

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