■節子への挽歌2568:庭を少し元気にしよう
節子
今年の夏は自宅にいることが多かったのですが、そのせいか、気になることがいくつかありました。
その一つは、セミが少なかったことです。
毎年わが家の庭には朝、セミの抜け殻が見つかるのですが、今年はほとんど見つかりませんでした。
セミの鳴き声も少ないです。
あげは蝶は時々やってきますが、小さな蝶々もまた、最近は見かけなくなりました。
自然が貧しくなっていると一概には決めつけられませんが、何か自然から動きが弱まっているような気がします。
もっとも自然は手入れ次第でもあります。
節子がいたころと違い、庭の手入れはどうしても十分にはできません。
狭い庭とはいえ、庭の草花に声をかけなければどうしても草花の元気は出ません。
草花が元気がなければ生き物も集まっては来ないのでしょう。
節子が手入れしていたころは、たぶん庭と節子はかなり一体感があったでしょう。
でも今は残念ながら、毎日草花に声をかけるようにはなっていません。
リビングから見えるところには気が行きますが、家の裏とかふだん見えないところはどうしても気が行きません。
久しぶりに裏に行ったら、黄色な曼珠沙華が4本も咲いていました。
昨年は赤だったような気がしますが、今年は全部黄色でした。
とても立派な曼珠沙華でした。
1本だけ切って、節子に供えましたが、曼珠沙華が咲くところはちょうど死角になっていたのです。
人の住まない家は傷みが早いと言います。
目を向けない庭も同じで、荒れてしまうのでしょう。
朝起きたら、家を一周することを明日からの日課にしようかと思います。
そうすれば、草花から元気をもらえ、草花に元気を与えることができるかもしれません。
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