■節子への挽歌2569:よいことば
節子
仕事場の資料を整理していたら、節子が残した便箋などの箱がでてきました。
そのなかに、毛筆用の和紙の便箋が出てきたのですが、表紙に、節子が筆書きで「よいことば」と書いていました。
最後のページは、「一日の旅 おもしろや 萩の原」でした。
これが、和室にかけてある節子の作品になっているのですね。
ですから、この「よいことば」を書いたのは、節子が病気になって、東さんのところに書を習いに行っていた時でしょう。
そこに書かれている「よいことば」は、いかにも節子らしいものばかりでした。
そのなかに、こんなものがありました。
不幸を知らない人は 幸福も知らない
悲しみを知らない人は 喜びも知らない
これを書いた時の節子の思いは、どんなものだったのでしょうか。
悲しみを乗り越えて、喜びに出会っていたでしょうか。
そんな思いも持ちましたが、もしかしたらこれは私へのメッセージなのかもしれないと思い出しました。
改めて読み直してみると、どうも私あてのものではないかと思えるものばかりです。
たとえば、
心をこめて きけ
心をこめて はなせ
これは、節子が私によく言っていた言葉です。
私は、言葉を軽く扱いすぎるというのが、節子の不満でした。
たしかに、その気があります。
特に私あてだと思われる言葉がありました。
善いことでも
まわりをよくみて
やりなさい
本当のことでも
相手のことを
考えて言いなさい
はい
そうします。
実はいまもそれができずに、娘にも叱られています。
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