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2014/09/20

■節子への挽歌2575:お墓は彼岸に通じているのか

節子
お彼岸が近いので、ちょっと早かったのですが、娘たちを誘ってお墓に行きました。
先日、墓荒らしにあって、修復の必要もあったからですが、まあたいしたことはありませんでした。
それでも墓石をずらして、お墓の中を見てみました。
なんと元気そうなトカゲが一匹、遊んでいました。
お墓の蓋がずらされたので、その隙間から入ったのでしょうか。
蓋をしなおす前になんとか、トカゲを外に出そうとしましたが、10分ほど頑張りましたが、ダメでした。
トカゲは土を掘って、土中に潜れますので、まあ何とか外部に出られるでしょう。
そう願いながら、蓋を閉めてしまいました。
そして、私も間もなくここに入るのかと思いました。
閉所が好きではない私の趣味ではないのですが、仕方ありません。
でもここから彼岸への道も開かれているのでしょう。

今朝、テレビで隠岐の海士町の近くに散骨できる無人島があると報道していました。
私は散骨派でした。
開かれた大地に戻りたいというのが、私の単純な考えだったのです。
しかし日本では散骨は難しいようです。
海への散骨は比較的やりやすいようですので、海への散骨を最初は希望していましたが、最近は海への散骨は溺れそうな感じで拒否感が出てきました。
ということで、やはり私も結局は、お墓に入ることでよかったような気がしてきています。
こういうのは、決めておいても、いざその時になると、考えが変わるのかもしれません。
節子が、まさにそうでした。

節子の母親は、もうじきお迎えが来るからと、死をあっけらかんと語る人でした。
それに比べて、私の母は、死に関しては全く言葉にしない人でした。
節子とよく、対照的だねと話し合っていたものです。
私たちはどうだったでしょうか。
やはりそれぞれが親の傾向を継いでしまっていたようです。
私は、節子の死を、一度も口にしたことはなく、考えたこともありませんでした。
だから、私には節子の死は、突然起こったことでした。
周りの人たちは、みんな間もなく訪れる節子の死が見えていたのでしょうが。
私と家族だけが、別の世界を生きていたわけです。
いまから考えると、実に不自然なのですが、当時はまさにそうだったのです。
以前書きましたが、私には死は突然やってきたのです。

ところが、両親の場合は違いました。
死を予想できたのです。
節子の場合、私には自分のことでもあったから、死が見えなかったのです。
その延長で考えると、私自身の死も、私には見えないことでしょう。
だから私には死が怖くないのかもしれません。

あのトカゲはどうしたでしょうか。
娘は、このトカゲは節子じゃないのか、と言っていましたが、そうだったのかもしれません。
実に色艶のいい。元気なトカゲでした。
もう彼岸に戻ったでしょうか。

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