■私の意識の改革
改革を考えるシリーズをとりあえず今回で終了です。
最後は私自身の意識の改革について、少し考えてみます。
川内原発が再稼働しそうです。
反対運動はありますが、やはり日本人の多くの人たちは再稼働を望んでいるのでしょう。
そうでなければ、こんなに簡単に原発依存社会に戻るはずがありません。
「戦争でもあれば、ちっとは景気もよくなるのに」。
日本の経済が大恐慌に陥った昭和初期によく話された言葉だそうです。
「原発が再稼働したら、景気もよくなるのに」という人を見ると、いつも思い出す言葉です。
こういう発想をする人たちは、たぶん「戦争」も望んでいて、だから集団自衛権にも賛成するでしょう。
問題は、私自身はどうかです。
もちろん原発も戦争も拒否したいです。
しかし、どこかにこういう発想をする人と同じものを持っていないか。
そう厳しく問われれば、胸を張って、ノーとは答えられません。
私は最近毎日1時間半ほど農作業をやっています。
すべて手作業ですが、あまりにも大変なので、やはり耕耘機を購入しようかと考えたりします。
幸いにあまりお金がないので、まだ購入はしていませんが、最近は買う方向に傾いています。
耕耘機の先に、原発があると考えるのは、考えすぎかもしれませんが、油断はできません。
福島の農家の人たちの苦労は知っていますが、福島産と西日本産の野菜が並んでいると無意識のうちに西日本産を選んでしまいます。
経済成長反対などと言っているくせに、企業の仕事で収入があれば、もう少し活動ができるのになと思ったりもします。
マスコミ報道を真に受けて、イスラム国や北朝鮮に悪意を感じます。
反原発のデモにも行かずに、時代の流れを諦めている自分に気づくことがあります。
ニーメラの教訓から学ぶこともありません。
こういう人間の存在が、たぶん日本を戦争へと導いたのでしょう。
最近の日本は、戦争に向かって一直線に進んでいた昭和初期に似ている気がして、とても不安です。
しかも、その不安に蓋をするように、みんな思考停止して、目先の与えられた仕事に忙しく(つまり心を失って)取り組んでいることに怒りを感じます。
社会から人間が消えつつあるようにさえ思います。
しかし、考えてみれば、私自身がまさにそうした生き方をしているのです。
そこから正していかないといけません。
さてどうすればいいのか。
農作業の合間に、もう少し考えてみようと思います。
自分の生き方を考えないようになったら、時代の流れに抗うことはできません。
ただただ流れに加担する存在になりかねません。
それだけは避けたいのですが、そういう考え方そのものが卑劣なような気もします。
しかし、改革を期待するのであれば、まずは自らの生き方を捉え直さなければいけません。
そこからすべての改革は始まるからです。
この答えは、いつか「改革を考える」の続編で書こうと思います。
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