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2014/09/21

■個人を壊す企業から個人を活かす企業へ

個人を起点に考える学校について紹介しましたが、企業経営でも「個人を活かす」ということは、よく言われています。
企業組織論でも、自己組織化の考えが導入されたり、創発理論が議論されていますし、「ダイバーシティ戦略」もはやりです。
しかし、私の偏見では、本気で「個人を活かそう」と考えている企業はあまりありません。
むしろ、最近の企業は、「人づくり」から「人こわし」に向かっています。
ブラック企業と言われるような、「若者を使いつぶす企業」も決して少なくありません。

グローバリゼーションという言葉に合わせて、企業改革や経営改革も話題になりますが、本気で企業を替えようなどと思っている経営者は少ないでしょう。
なぜなら改革がうまくいった企業を、あまり知らないからです。
もちろんゼロではありませんが、相変わらずの経営を続けているところがほとんどのように思います。
実際に、そうしなければ、企業を継続していけないという状況もありますが、そうであればこそ、もっと本気に企業の設計思想を変えていかねばいけません。
私も昔は、そうしたことに取り組みたくて、いくつかの試みをしたこともありますが、力量不足と信念不足と怠惰さのために、いずれも挫折してきています。
だからあまり偉そうなことは言えません。

しかし、どう考えても、今の企業は壊れだしています。
働く人のためにではなく、お金のために存在しているという、主客転倒を感じます。
まあ、これは企業だけではなく、最近の組織全体がそうなってきているような気もします。

企業が個人を壊している事例は、よく報道されていますが、例えばその一つの表れが「自殺問題」です。
今年の初めから、「自殺に追い込まれることのない社会のために何ができるか」をテーマにした連続ラウンドミーティングを開催しています。
その一つが、「会社で働く人編」ですが、こうした話し合いの場に企業の経営管理者の人を巻き込むのは簡単ではありませんでした。
幸いに今は、大企業の人が中心になって、ささやかながら会を継続しています。
私の関心は、自殺にあるのではなく、そこから見えてくる企業経営の問題の把握です。
そしてどうしたら、企業がもっとイキイキしたものになり、みんなを幸せにしてくれる存在になるかです。
それこそが、私が考える企業改革であり、経営改革ですが、共感してくれる人は多くはありません。
私の本業の一つは、企業経営コンサルタントですが、残念ながら仕事はこの10年ほど、全くと言っていいほどありません。
利益を上げるよりも社員が幸せになる企業経営が私のビジョンですが、それでは企業が対価を払ってくれるはずもありません。
しかし、そうした状況こそを変えていきたい。
そう思っています。
もっとも最近は年齢のため気力体力ともに萎えてきていますので、もう仕事はできないでしょうが、思いだけは強いのです。

最近の日本の企業を見ていると、先行きがとても不安になります。

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