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2014/09/22

■節子への挽歌2578:農作業しながら読書する豊かな暮らしのはずなのですが

節子
今日も畑で頑張ってきました。
幸いに娘たちが少し手伝ってくれたので、今日はかなり作業が進みました。
一人での農作業よりも、どこかで誰かが農作業をやっているのが感じられるだけでも、楽しさが高まると、宇根さんが本で書いていましたが、まったくその通りです。
娘がちょっと手伝いに来てくれるだけで、作業への飽きが来ないのです。
それで今日もまた、いささか頑張りすぎてしまいました。

しかし、今日もまた死にそうになるほど疲れました。
節子も知っている、近くの農家の人が、機械でやったほうがいいですよ、と声をかけてくれましたが、農本主義者はできるだけ機械を使わないのがいいのです。
機械を使うと、草や生き物や土の手ごたえを感じにくくなるからです。
そのことは、やっていると実によくわかるようになります。
まあ3日頑張っただけですので、大きなことは言えません。
あなたはちょっとやっただけで偉そうなことを言う、といつも節子に言われていたのを思い出します。
まあ、そこが私の良いところ(節子は悪いところだと言っていましたが)なのですが。

今日は、かなり作業が進み、土が見えだしてきましたので、小さな虫も見えだしました。
以前よりもたしかに生き物は少ない気がしますが、注意してみると、やはり土壌は生きています。
土は生き物だと教えてくれたのは、内水護さんです。
次第にうっそうとした藪に近づいているので、注意しないと蛇を切ってしまいかねません。
ますます機械など使えません。
しかし、逆に蛇に咬まれてしまうかもしれませんので、手袋はきちんとするようにしています。
私は、手袋などがあまり好きではなく、いつも無防備で作業をして、節子に注意されていました。
節子がいなくなった今は、注意しないといけません。
いずれにしろ、農作業とは生き物との交流なのです。
交流があれば、お互いにリスクが発生するのです。

節子は、毎日、庭の花木と交流していました。
しかし、そうするためには、それなりに心に余裕がなければいけません。
私もそうしようと頭では思うのですが、実際には続きません。
私の場合は、まだ「意識」しなければできないのです。
節子は日常化していました。
たぶん花木と付き合うのが好きだったのでしょう。
私はまだそこまでいきません。
生き方に、まだ余裕がないのかもしれません。
農本主義者などと書いていますが、まあ畑作業よりもまだ読書のほうが好きなのです。
節子が元気だったころは、少しだけ一緒にやっても、私はすぐに退屈して戻ってきてしまう。
そんな感じだったのですが、今は私が一人でやらなければいけません。
改めて、農作業の大変さは身にしみます。
体調が悪いなどと言ってはいられないのです。

明日もまた農作業です。
農作業しながら読書する。
実に豊かな暮らしのはずですが、なぜか豊かさを実感できずにいます。
どこかにまだ無理があるのです。
あんまり無理をしないほうがいいわよ、と節子が笑っているような気がしないでもありません。

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