■節子への挽歌2583:「佐藤さんとも会えなくなるかもしれないから」
節子
節子もよく知っているTFさんが、昨日、湯島に来ました。
佐藤さんとも会えなくなるかもしれないから、と言って。
新たながんが見つかったのだそうです。
死について、話し合いました。
いずれにしろ生きている人にとって、死は存在しないという認識では、同じですし、TFさんはこの数年、死に直面していますので、死に対する考え方もとても淡泊です。
どっちが先に死ぬかなあ、と、真実味を持って語れる仲なのです。
2人とも、いろんな意味で、死は比較的身近なことなのです。
TFさんとは30年ほどの付き合いです。
私とはかなり生き方も違いますし、考え方も違います。
TFさんの、私への印象は、「いやな奴」だったそうですが、私のTFさんへの印象は「変なやつ」でした。
ちなみに、私が最も交換を持つのは「変な人」です。
会うたびに、彼は佐藤さんはバカだからと言いますが、「バカだ」という言葉は私にとってはほめ言葉なので、喧嘩にはなりません。
「いやな奴」「変のやつ」「バカな奴」は、一見、否定的に感じますが、いずれにも「生きた人間」が含意されているので、人の関係を育てるには肯定的だと言ってもいいでしょう。
TFさんとは一緒に仕事をしたこともなければ、遊んだこともありません。
しかし、なぜかお互いに親近感はあります。
たぶんお互い「バカ」だからでしょう。
共通の友人たちも、鬼籍に入った人が多いです。
しかし、人間、70歳を超えると、此岸にいるか彼岸にいるかなどあまり関係がなくなります。
此岸にいても、そんな会う機会もありませんから、そのうち、どちらにいるかさえわからなくなることもあります。
でまあ、「ところで○○さんはまだ健在だったっけ」などという会話が結構あるのです。
しかし此岸にいようが彼岸にいようが、違いはないのです。
そうやって、いつか気づいたら、自分も彼岸に来てしまっていたということになるのでしょう。
まあお互い、そんな感じなので、深刻感はありませんでしたが、わかれた後、やはりちょっと日常的すぎたかなと思いました。
それに、彼が「佐藤さんとも会えなくなるかもしれない」と言った時は、けっこう真顔でした。
一度、きちんと彼と食事でもしようかと思います。
お互い議論好きなので、議論から喧嘩になる可能性が、ないわけではないのです。
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