■節子への挽歌2558:哀しさや寂しさを緩和させるための忘却
節子
節子の命日を前に、家族でささやかな会食をしました。
節子がいた頃を思い出して、久しぶりに中華料理の知味斎の円卓です。
両親が健在だった頃は、よく行きましたが、次第に行かなくなり、節子が病気になってからはたぶん一度も行ったことはありません。
それでも、中華料理にまつわる思い出はいろいろとあります。
病気になる前に、節子が更年期障害で元気がなくなった時期があります。
その時に、娘たちと3人で、気分転換に香港に行っています。
私は同行していませんが、それが食べ物と買い物のツアーだったからでしょう。
3人が香港にいったことはもちろん覚えています。
湯島で節子に会った私の友人が、わざわざ節子に香港に行ったらここに行ったらいいと地図まで書いて説明してくれていたのを覚えています。
そこまでは覚えているのですが、香港に行った理由を今日初めて知りました。
いや、忘れていたのを思い出しただけかもしれません。
ともかく、節子の気分転換だったのだそうで、当時、節子は心身共に不調だったのです。
そのため、その時に撮った写真を節子は見なかったそうです。
そういえば、香港で作ってきたという、娘たちと節子の写真入りの陶器も、どこかに埋もれていました。
節子は、そこに写っている自分が気にいらなかったのでしょう。
香港旅行の話も、あまり聞いた記憶がありません。
香港での話を今日は少し娘たちに聞かせてもらいました。
前に聞いたような気もしますが、あまり覚えていないのです。
今日に限りませんが、娘たちと話していて、実は私の節子の記憶はかなり失われていることを感ずることがあります。
まあ加齢に伴う忘却かもしれませんが、どうもそれだけではありません。
節子の記憶を軽くしておこうという力が働いているような気が、時にするのです。
大事な人の記憶は忘れないようにしようという心の働きがあるのではないかと思っていましたが、どうも実際は逆のようです。
忘れることによって、哀しさや寂しさを緩和させようとするのが、もしかしたら生命の本質かもしれません。
娘たちが話す節子の思い出話が、私には全く覚えのないことが時々あるのです。
今日もまたそのことを実感させられました。
久しぶりの知味斎の料理は、かなり変化していました。
節子だったら、何と言うでしょうか。
節子は、食べ物にはいつも一家言ありました。
自分では大した料理もできないくせに。
でも、私は節子の下手の料理が大好きでしたが。
| 固定リンク
「妻への挽歌13」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り(2014.10.14)
- ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味(2014.10.13)
- ■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」(2014.10.12)
- ■節子への挽歌2597:不老不死(2014.10.11)
コメント