■節子への挽歌2574:農作業の効用は不明です
節子
オフィスに行こうか、病院に行こうか、畑に行こうか、迷ったのですが、昨日の決心通り、畑に行ってきました。
半端でなく、草が生い茂っていました。
なんでこうも元気なのでしょうか。
おそらく自然のままに、素直に生きているからでしょう。
見習わなければいけません。
しかし、草っていうのは、悩むことはあるのでしょうか。
鍬まで持って行ったのですが、耕すどころではなく地面が見えないほどの茂りようです。
根扱ぎ鎌で草刈りに挑むことにしました。
問題はどこからやるかです。
まずは栽培していたミニトマトや唐辛子の周りを整理することにしました。
ミニトマトは、今年は連作したせいかあまり出来は良くありません。
唐辛子は、生い茂った草の中で頑張っていました。
不注意にも1本は草と一緒に抜いてしまいましたが、唐辛子も赤くなっていました。
しかし、いくら草を刈ってもあんまり変化がありません。
それほど茂っているわけです。
それで道沿いの花壇のところの草刈りをすることにしました。
なんと草の中で、マリーゴールドがまだ咲いていました。
しかし、ここが花壇だったとはだれにも分からないほどの悲惨な状況です。
案の定、途中でお手上げになりました。
それでも1時間半ほど頑張ったのですが、焼け石に水といった感じです。
どっと疲れが出てきて、立ちくらみがしてきました。
昔からそうですが、思い立ったらすぐに頑張ってしい、自制力が働かないのです。
畑の草の上で寝てしまいました。
実は先日、素晴らしい本に出会いました。
宇根豊さんの「農本主義が未来を耕す」です。
私は、農本主義者だと確信が持てたのですが、その本によれば、たとえ草刈りであろうと楽しいはずだと書いてありました。
注意すると虫の声や草の声が聞こえるはずだというのです。
寝ながら、というよりも、倒れたまま、耳を澄ませましたが、聞こえてきません。
聞こえてくるのは、自分の激しい息切れの音です。
しかし、とてもきれいなシジミチョウのつがいが飛んできました。
彼らにしばらく見とれていましたが、目の前で少し休んだ後、何も語らずに飛び去ってしまいました。
宇根さんが言うほど、楽しくはありませんでした。
そのうちに、幸いに気分も収まり、立ちくらみもなくなりました。
冷静になって、周囲を見ると、やはり気になることがあります。
バッタ類に出会いません。
生き物に会うのが楽しいと、宇根さんは書いていましたが、今回、会ったのはやぶ蚊だけでした。
デング熱にはかからないでしょうが、ともかく蚊にはよく刺されて、身体中がかゆくなりました。
蚊にとっては、いい日だったかもしれません。
私も少しは蚊には役立ちました。
しかし、あんまり楽しくない農作業でした。
ところで、元気のほうはどうでしょうか。
疲れすぎて、体調が悪いかどうかよくわかりません。
農作業の効用は、かくして確証は得られませんでした。
宇根さんが言うように、続けなければいけません。
理屈だけの農本主義者には、草も虫も土も何も語ってくれないのです。
節子なら、私よりも耳がいいので、何か聞こえたかもしれませんが。
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