■節子への挽歌2563:また荷物をもらって帰ってきました
節子
今回の新潟行きは少し疲れてしまいました。
今年の夏ばての影響でしょうか、どうも調子が良くありません。
新潟からの帰りは、東尋坊の茂さんとご一緒でした。
まさか私が、価値をほとんど認めていない形式重視の行政の自殺防止活動イベントに荷担することになるとは思ってもいませんでした。
今回はひょんなことから参加する羽目になってしまいました。
思えば、節子と一緒に東尋坊に行った時に、茂さんと偶然に会ったのが、このテーマに関わる始まりだったかもしれません。
節子がいなくなってから、気力が失せていた時に、茂さんから届いたメールが、なぜか茂さんとの縁を深めることになりました。
茂さんは、その生き方において、私の目指す生き方です。
茂さんが大事にしているには、「知ったものの責任」です。
知ったくせに何もしないのは犯罪だとさえ言うのです。
見習わなければいけません。
口だけの人があまりに多いですから。
昨日は新潟でシンポジウムでした。
テーマは「自殺に追い込まれることのない社会のためになにができるか」でした。
前日、懇親会がありました。
さまざまな意見が飛び交いましたが、いずれも私にはピンときませんでした。
口数の多い人ほど何も語っていないものです。
私も、その一人かもしれません。
自分のことはなかなか見えないものです。
節子がいた時には、注意してもらえたのですが、いまはお山の大将になっているのかもしれません。
しかし、他者のことはよく見えます。
思わず、私は一人称自動詞で語る人しか信頼しませんとよけいな発言をしてしまいました。
酒の席だったので騒がしさにかき消されたのが幸いでしたが。
しかし、どうも大人数の酒の席は好きではありません。
必ず1人や2人、仕切り家がいるからです。
ちなみに新潟でもまた宿題をもらってきてしまいました。
行動すれば必ず荷物を背負い込んでくる。
節子がいた頃と変わっていないのです。
しかも今では、その荷物をシェアしてくれる節子もいません。
だから疲れがなかなか抜けないのかもしれません。
まだ疲れが抜けず、ボーっとしています。
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