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2014/09/13

■なぜ改革は達成されないのか

20世紀末から21世紀にかけて、さまざまな分野で「改革」が叫ばれてきました。
政治改革、行政改革、司法改革、教育改革、医療改革、経営改革など、いささか聞き飽きた感があります。
しかし、残念ながら、改革が実現したという話は聞いたことがありません。
なぜでしょうか。
私には、それは当然のことのように思えます。
そもそも最初から「改革」などしようとしていなかったからです。

こんな言い方をすると、身も蓋もないのですが、そう思っています。
以前、仕事で関わっていた企業変革に関してもそう思っていました。
それに関しては、大昔、雑文を書きましたが、変革や改革は「その気」になれば簡単ですが、「その気」になることが大変なのです。
「企業を変えるのは簡単です。変えるつもりがあればですが。」

現状に満足していない人たちは「改革」という言葉に踊らされがちです。
逆に言えば、「改革」が魅力的な言葉として受け入れられるのは、現状に満足していない人が多いということでもあります。
しかし、どんな状況においても、実際には現状に満足していない人と満足している人がいます。
言うまでもないでしょうが、「改革」を望むのは満足していない人ですが、多くの場合、その状況を創り出し、その状況の中で利益を得ている人たち、つまり体制のリーダー層から「改革」を呼びかけられることが多いのです。
なぜなら、不満を持っている人たちに対して、とても「受けの良い」言葉だからです。
だから、「改革」は単なる希望を与え支配下に置くためのスローガンになりやすいのです。

満足していない人たちからの改革の声は、「革命」と言われます。
革命は、「既成の制度や価値などを根本的に改革すること」です。
つまり、根本的に改革することが革命なのです。
言い換えれば、根本的に変えない改革があるということです。
さらに言えば、現状維持のための「改革論」があるということです。

根本的とはどういうことか。
私は「パラダイム」を変えるということだろうと思います。
パラダイムとは思考する枠組みの基本原理です。
私のホームページやブログの基本的な視座は、すべて「人間起点」、それも表情ある「個人起点」を目指しています。
それは、私の生き方でもあります。
26年前に会社を辞めた時に、私は生き方のパラダイムを変えたつもりです。

その視点から考えると、世間で言われている改革の多くは、既成の枠組みの中での弥縫策、いやむしろ保全策に感じられます。
例えば、前にも書きましたが、司法改革は、権力者の自衛策の司法パラダイムから抜けていませんし、行政改革は目的不在の手続きパラダイムから抜けていません。
医療改革のような、具体的な分野でも、医療そのものの役割の見直しまでには視野が届かずに、狭義の医療防衛の視野狭窄から抜けていません。
経営改革には企業の意味の問い直しが欠落していますし、教育改革は相変わらず人間を道具とする訓練志向に凝り固まっています。

私の友人の川本さんが、「右傾化に打ち克つ新たな思想」という本を出しましたが、その根底にあるのは「人間を起点とした社会哲学」です。
私が考えている「人間起点の発想」と通ずるところがあるので、川本さんにお願いして、「人間を起点とした社会哲学」のサロンを開催しました。
それが契機になって、「ちょっとハードなカフェサロン」が始まりました。
今日はその3回目です。
今日のテーマは医療と生命倫理にかかわるものですが、この継続サロンで、「人間を起点とした社会」を考えていきたいと思っています。
関心のある方はご連絡ください。

明日から少し「改革」に関する私見を2~3回書いてみようと思います。
1回で終わるかもしれませんが。

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