■節子への挽歌2572:「女房とパソコンは古いほど良い」
節子
パソコンを新しいのに変えたら、実に調子が悪いです。
そもそも前のパソコンに入っていたソフト関係を移そうとしたのですが、なかなかうまくいきません。
わざわざワイアレスのマウスにしたのですが、これがまたスムーズではないのです。
やはり使い慣れたパソコンがいいですね。
そのうえ、画面が大きくなるとばかり思ったのに、横幅は広くなりましたが、縦が短くなったので、むしろ小さくなった感じです。
横広になった分だけ、むしろ無駄なスペースが増えた感じです。
機能は確かに増えましたし、きめ細かくなったのかもしれませんが、むしろもっとシンプルにしてほしいものです。
ユーザー仕様ではなく、開発者仕様のような気がします。
とまあ、こんな感じで新しいパソコンに苦戦しているうちに、そういえば、「女房と畳は新しいほうがいい」という言葉があったなと思いだしました。
たしかに畳は新しいほうがいい。
そういえば、「女房と鍋釜は古いほどいい」という言葉もありました。
今回の苦労から言えることは、「鍋釜」ならぬ「パソコン」もまた、古いほうがいい。
いや「古い」というからおかしくなるのですが、「付き合いが長い」と言えば、実に合理的な意見です。
付き合いが長ければ、なじんできて、自分と一体化できますから。
少し前に、関係性のことを書きましたが、関係は人だけではありません。
私たちは、周りにあるすべてのものや自然とつながりながら生きています。
そのすべてに「愛着」を持てるかどうかが大切なことのように思えます。
私の場合は、愛着を持ちすぎて、捨てられなくなります。
書籍や書類はなかなか捨てられません。
節子が使っていた物もなかなか処分できません。
今日、ようやく節子が使っていた鏡台ドレッサーを処分しました。
処分するまでに7年もかかってしまったわけです。
娘は、空間のほうが大事なので、2年使わないものは処分したほうがいいと言います。
そう思うのですが、なかなかそうはできません。
しかし、そのなじんだ女房もいなくなりました。
こうして次第に世界が小さくなり、自分もいなくなるのでしょう。
しかし、節子のドレッサーのように、私がいなくなった後に残ってしまうものがある。
それをいかに少なくするか。
その思いで、これから少しずつ身軽にしていかねばなりません。
まずはパソコンを新しいものに切り替えて、1台にしなければいけません。
さてまたチャレンジしてみましょうか。
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