■卑怯な生き方
最近のNHKの朝ドラ「花子とアン」は、昨今の日本の状況やそこでの私たちの生き方に、鋭いメッセージを突きつけているように思います。
そして、それに続く、「あさイチ」での有働アナの朝ドラへの反応がまた、NHKの姿勢を見事に象徴しています。
今日もまさにそうでしたが、今日の救いは解説委員の柳澤さんが久しぶりに登場して、少しだけ良心的なつぶやきをしていたことです。
ところで、今朝の「花子とアン」を観た人は、タイトルの「卑怯な生き方」が、蓮子が花子に浴びせた言葉だとわかってもらえるでしょう。
花子はラジオ放送で子どもたち向けのニュースを読み上げる仕事をしています。
しかし、戦争にむかっている時代状況のなかで、読み上げるニュースは戦争のことばかり。
花子は悩みながらも、だからこそ花子の「ごきげんよう、さようなら」という呼びかけを待っている子どもたちのために続けてほしいという放送局の人の説得にしたがって、辞めないでいます。
その危険性を、蓮子から指摘されて、「一人だけ抵抗しても時流には抗えない。自分や家族の暮らしを守るためにそこに乗るのは仕方ない」という花子は、まさに昨今の私たちです。
しかし、蓮子は、そうした花子を、「戦争をしたがっている人に動かされているだけ」と厳しく糾弾し、「私は時代の波に平伏したりしない。世の中がどこへ向かおうと、言いたいことを言う、書きたいことを書くわ。あなたのように卑怯な生き方はしたくないの」というのです。
花子のような人たちが、日本を戦争へと導いたわけですが、そういう状況においては周りが見えなくなってしまうのでしょう。
「意味の反転」に気づかなくなるのです。
昨日の放送では、蓮子の夫が平和を画策していた疑いで憲兵に連行されるのですが、それを見て近所の人たちは彼に「非国民」と非難の言葉を投げかけます。
これもまた、昨今の私たちの姿です。
時代を超えて、ドラマで見ると馬鹿げた言動ですが、それを見ている多くの視聴者たちが、そうした言動を実際にとっている現実は、実に哀しいものがあります。
私自身、しっかりと自分の言動を見直さなければいけません。
今朝の「卑怯な生き方」のセリフは好評のようで、ネット上ではすでに盛んに議論されだしています。
共感したならば、「卑怯な生き方」から抜け出なければいけません。
しかし、それが難しいからこそ、ネットでもてはやされているのかもしれません。
改めて、ラ・ボエシの「自発的隷従論」を思い出します。
「あなたがたが、自分を殺す者の共犯者とならなければ、自分自身を裏切る者とならなければ、敵はいったいなにができるというのか」。私は、卑怯な生き方はしたくないと思っています。
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