■節子への挽歌2577:憂社会病
節子
昨日も畑に行ってきたせいか、体調もよくなってきたような気がします。
昨夜は久しぶりによく眠れました。
今朝、私よりも10歳も年上の方から、こんなメールをもらいました。
現在が戦前で、どことなく不穏な国情と、佐藤様のご体調は関連するのかもしれませんね。この方は、「やさしさのシャワー」を周りにふりまいて、みんなを元気にし、社会を元気にしている方です。
満州事変勃発以来昭和20年まで、国情と平行して胃腸を弱らせた人もありました。
神経の鋭い憂国(?)、憂社会(!)の士の宿命ではないでしょうか。
国の責任と個人の責任は別物、と称してけろりと割り切る人もおられますが。
私にも、そのシャワーを注いでくださったわけです。
過分な評価を真に受けるほど自失してはいませんが、ついついほめ言葉から元気をもらうタイプなので、元気がさらに高まりそうです。
昨夜から、戦前の農本主義者、橘孝三郎を取り上げた「テロとユートピア 5・15事件と橘孝三郎」(新潮選書)を読み出しました。
まだ途中ですが、農行(最近、「農業」ではなく「農行」という表現が気に入っています)はどうも両刃の剣なのかもしれません。
農本主義者が、なぜに5・15事件に連座したのかは、考えさせられる話です。
農行をしていると、時代の実相が見えてくるのでしょうか。
確かに、この方が言われるように、国情への不快感は、私にはかなり影響があります。
そうであれば、行動に移せばいいのですが、それもできない自分への不快感もあります。
ストレスからか口内炎ができてしまいましたし、最近は朝のコーヒーがおいしくないのです。
食欲もあまりありません。
テレビニュースを見ると気分が悪くなりテレビを蹴飛ばしたくなり、キャスターやコメンテーターの発言を聞くとその人まで蹴飛ばしたくなり、どうも心も荒れています。
ちなみに、かなり人嫌いにもなっています。
いや、人不信と言ったほうがいいかもしれません。
自分がどんどん孤立し、自閉に向かっているような気さえしています。
そういう状況では、一番逃げやすいのは、「体調不良」なのです。
私の最近の心身の不調は、仮病かもしれません。
「体調不良」だと、活動をさぼる名目も得られますし。
困ったものです。
ところで、ちょっと気になるのですが、この方は今の日本を「戦前」と捉えています。
戦前を体験された方の体感が、そう言わせたのかもしれません。
たしかにおぞましい未来が、ついそこに来ているような気もします。
日本人がこれほど好戦的だったとは、実に悲しくさびしいです。
こう書いてきたら、また元気が萎えてきました。
さて、今日は午前中に畑に行ってきましょう。
昨日は、大きなガマガエルと小さなバッタに出会いました。
今日はだれに会えるでしょうか。
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