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2014/09/08

■なぜ「助けて」と言わせたいのか

6日に新潟で自殺対策のパネルディスカッションがあり、進行役として参加してきました。
会場とのやり取りのなかで、私には違和感がある質問が2つありました。
この質問は、この種の集まりでよく出る意見でもあります。

一つは、自殺の原因別割合はどうなっているのかという質問です。
それも細かく分類できないかというのです。
質問された行政の人は、細かな分析はできていないと応えていました。
「家庭問題」「健康問題」「経済問題」「勤務問題」「人間関係」などと分類されることが多いのですが、そうした原因をさらに詳しく究明してどうしようというのでしょうか。
それを知ったら、対策が考えられるなどと思っているのでしょうか。

自殺に追いやられる人の状況はさまざまです。
しかし、同時に共通していることがあると思います。
助けてくれる人がいないということです。
自殺の原因を細かく分類しても、実際には役立たないでしょうような気がします。
自殺を観察する人と自殺を実行しようとする人とは、切り口が違うのです。

そう思っていますので、自殺の原因別統計を知りたいという質問をする人を、私は蹴飛ばしたくなります。
しかし進行役ですから、そうも言えません。

もう一つの質問は、「日本で自殺が多いのは日本人の自尊心が高く、助けてと言わないからではないか」です。
これもよく言われる言葉です。
自尊心が高ければそもそも自殺など考えないだろうと私は思いますが、それはともかく「助けて」と言わない状況を変えないといけないと多くの人が言います。
これも蹴飛ばしたくなる意見です。
あなたが、助けてというシグナルに気づいていないだけだろうと思うのです。
それに、困ったら「助けて」と言えばいいなどという傲慢さは私にはなじめません。
そういう人たちが、自殺に追い込む社会をつくっているような気がするのです。

たとえば、子どもたちにも「助けて」というように要求するのでしょうか。
声を出せない人にまで、「助けて」と言えというのでしょうか。
普段からきちんと付き合っていて、ほんの少しの気配りをしていれば、「助けて」などと言わせる前に何らかの気付きを得られるはずです。
助けての声が届かないのは、「言わないから」ではなく「聞かないから」です。
もちろん言語だけではなく、言語以外のメッセージも含めてです。
むしろ、「助けてなどと言わせない社会」を、私は目指したいです。
そのためには、みんなもっと余裕を持って、周りの人への気配りや関心を高めればいいのです。
余裕がない状況、つまり「忙しい状況」から抜けなければいけません。
それは相手の問題ではなく、自分自身の問題であり、その気になればできることなのです。
他者の問題ではなく、自分の問題ですから。
まあそう言いたかったのですが、何しろ進行役なので、パネリストの人に答えてもらいました。

大切なのは分析や観察ではなく、どうしたら自殺に追い込まれる状況をなくしていけるか、です。

私の進行がうまくなくて、そこまで届かなかったのが、実に悔やまれます。
人のことをとやかく言う前に、まずは私がもっと適切なファシリテーションができるようにならねばいけません。

しかし、どうして日本人は、分析や観察が好きなのでしょうか。
制度や相談窓口をつくるのも好きです。
それが悪いわけではありません。
しかし、自らの生き方を問い質すことで、自殺に追い込まれることのない社会に近づけることもまた、間違いないことなのです。
自殺防止活動というと、何やら大変なことのように感じますが、まわりの人のことに少しだけでも思いを馳せることも、大事な自殺防止活動なのだろうと思います。
時間がなくなったので、最後にそれだけを話させてもらいましたが、急ぎ足過ぎて届かなかったかもしれません。

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コメント

全く同感です。
新潟では、大変お世話になりました。

こんなニュースがありました。
2年前にうつ病を患い自殺を考えて東尋坊へ来た女性が、再び「死にたい病」に罹り東尋坊の岩場に立ったのです。 その女性と相談所で約5時間話しを聴いて休んでもらいました。 ことろが、いくらたっても全く動こうとしないため、散歩に行くよう勧め、東尋坊の岩場へ1人で散歩に行かせたのです。 ところが、まもなく岩場で東京から来た50代の男性である自殺企図者と遭遇してしまったのです。 その男性は相当自殺する決意が強いことがかったため、おもわず「死んだらアカン…」と説得してしまい、応援を求めて来たため無事保護することができました。 彼女曰く「今日までお母さんに、毎日のように死にたい、死にたいと言ってきたが、そんなことを言われると、聞き手は、もっともっと辛いと言うことが初めてわかりました…」と言って、東海地方の母親の下へと帰っていかれました。 (9/14付け・朝日新聞・福井版に少しだけ記載)

投稿: 茂幸雄 | 2014/09/16 05:36

茂さん
ありがとうございます。
まさか茂さんからコメントが届くとは思いませんでした。
茂さんは福井の東尋坊で10年以上、見回りしながらの人命救助活動をされていますが、その「ぶれない生き方」に、いつも感服しています。
今回もまた、新潟でたくさんのことを気づかせてもらいました。

今回のお話も、実にわかりやすいお話ですね。
現場にこそ答がある、というのが、私の考えなのですが、改めてそのことを実感しました。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2014/09/16 08:07

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