■節子への挽歌2581:俗物根性はなくなりません
節子
NHKの朝ドラ「花子とアン」になんと茂木健一郎さんが出版社の社長役で登場しました。
いささかセリフは棒読みでしたが、存在感がありました。
まさかあの茂木青年が、これほど多面的な活躍をするとは思ってもいませんでした。
私たちが茂木さんと会ったのは、彼がまだ高校生の頃です。
あるチームで、ハワイのキラウエア火山に行った時の、最年少のメンバーが茂木さんでした。
今の茂木さんは恰幅もよくアクティブですが、高校生の茂木さんはすらっとして控え目でした。
数日間の旅行中、何を話したかの記憶もありません。
旅行から数年して、参加者に声をかけて湯島で集まりをやりました。
そのツアーに参加したメンバーは、みんな個性的な人たちでした。
大阪在住の人も2人参加してくれました。
その時の茂木さんは、もうあの時の茂木さんではなく、よく話す茂木さんでした。
あまりに話しすぎるので、大阪から参加した一人が、ほかの人の話も聞きたいと、たしなめたほどでした。
茂木さんの才気は、その時にはもう十分に輝いていました。
少したって、茂木さんはイギリスの大学に移りました。
渡英後もメールでのお付き合いはありましたが、いつの間にかつながりが切れてしまいました。
そしてそれからしばらくして、そこらじゅうで茂木さんの名前を見るようになりました。
私たちにとっては実にうれしい話で、節子も茂木さんの名前を見つけるといつも私に教えてくれました。
テレビや新聞で、時々、昔付き合いのあった人に出会います。
最近は毎日のようにテレビに登場する人もいます。
私も、社会のなかで仕事をしていた時代があったのです。
そうした生活を続けていたらどうだったでしょうか。
もし伴侶が節子でなかったら、続けていたかもしれませんが、節子のおかげで生き方を変えることができました。
自分をしっかりと生きることができているのは、節子のおかげです。
人生の幸せとはなんなのか。
それは、自分をしっかりと生きていけることでしょう。
しかし、人生は自分だけのものではありません。
みんなつながっているのです。
そのつながりがどこまで見えるか。
それによって、幸せの実感は変わってきます。
社会のど真ん中で活躍している以前の知り合いの姿を見ると、少しうれしくなります。
昔の、もう一つの私の人生を思い出させてくれるからです。
また会って話したいなとも思いますが、相手が有名になってしまえば、会いに行くのははばかられます。
それに、たぶんもう私とは違う世界にいることでしょう。
しかし、どこかにちょっとだけうらやましがっている自分もいます。
つまり、まだ未練がましさと俗物根性が残っているのです。
節子が一緒だったら、そんな未練や俗物根性は沈められるのですが。
困ったものです。
しっかりと世を捨ててから、彼岸には旅立ちたいと思いますが、うまくいかないかもしれません、
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