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2014年10月

2014/10/31

■節子への挽歌2615:夢こそ生きる支え

節子
時評編に書いたのですが、今朝の朝ドラでの2つのセリフにいろいろと思いをはせました。
「人は夢ではいきていけない」
「私は夢を食べて生きていけます」

最初のは、ウィスキーづくりにすべてをかける主人公まっさんを諭す世間の良識人のセリフ。
次のは、そのまっさんを支える妻のエリーのセリフです。
時評編に書きましたが、私は、人は夢だけで生きていける、むしろ夢がなければ生きていけないと考えています。
そしてエリーが言ったように、夢があれば生きていけるとも思っています。

夢は、どんなにささやかであってもいいのです。
大志や大望などである必要はまったくありません。
今日は楽しい1日にしたい、というような、ささやかなもので十分です。

さらに言えば、その夢を妻や家族や仲間と一緒に見ることができれば、どんなに幸せでしょうか。
最高の幸せは、世界中みんなと一緒に見る夢かもしれません。

最近、時々思うのですが、節子がいたころは何であれほどに些細なことが楽しかったのでしょうか。
夢に関して言えば、ことさら夢について話し合ったことはありません。
でもどこかに、夢の気分があったのです。
一緒に老いを楽しみ、生を全うするくらいの、夢だったのです。
人が生きていられるのは、そんな小さな夢でいいのです。
それに対して、夢だけでは生きていけないなどという発想は、さびしすぎます。
少なくとも、私は夢のない人生は生きたくはありません。

といいながら、果たして今の私の夢はなんでしょうか。
この挽歌にも書いたかもしれませんが、夢がなくなってしまい、生きる意味を見失ったという状況も何回かありましたし、いまもそういう状況から抜け出たとは言えません。
しかし、生きている。
つまり夢がまだ私の中に残っているのです。
それはなんでしょうか。
彼岸で節子に会うことでしょうか。
心穏やかに余生を過ごすことでしょうか。
誰かの役に立つことでしょうか。

夢は残っているにもかかわらず実感できないのは、もしかしたら分かち合う人がいないからかもしれません。
夢そのものではなく、夢をシェアすることに、私の意識が向きすぎていたのかもしれません。
そう考えると、いろんなことが納得できます。
私にとっての夢とは何なのか。
いや、夢とはなんなのか。
またまた青臭いテーマにぶつかってしまいました。
困ったものです。

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■人は夢だけでは生きていけない、のか?

「人は夢だけでは生きていけない」。
今朝の朝ドラの「まっさん」で、日本で初めてのウィスキーづくりに取り組んでいるまっさんに向けて、発言された言葉です。
日常世界でも、よく使われる言葉です。
でも、これは本当でしょうか?

イエスは「人はパンのみでは生きられない」と言いました。
吉本隆明は、このことばを解して、パンがなければ生きられないことをイエスは認めたのだと言ったそうですが、ここは素直に、「パンがあっても生きられない」と私は受け止めます。
アーツ・アンド・クラフツ運動に取り組んだウィリアム・モリスは、生きることの意味をもう少し深く考えました。
その考えを、國分功一郎さんは、こう言い替えています。
「人は、パンだけで生きるべきではない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない」。
そして、今朝のドラマでは、まっさんの妻のエリーは、「私は夢を食べて生きていける」と断言します。
私も、生きるとは夢を持つことだと思っています。
夢さえあれば生きていけるのです。
逆に、夢がなければ、生きているとは言えない、と私は思います。

「人は夢だけでは生きていけない」という言葉に、どうしてみんな洗脳されてしまったのでしょうか。
夢を捨ててまで、生命を持続させる意味はあるのか。
生きるという意味を、真剣に考えれば、パンよりも夢が大切です。
なぜそう思わないのでしょうか。

しかし、実際にはすべての人が「夢」を持って生きているはずです。
意識しているかどうかはともかく、夢が生命を支えているはずです。
夢がなくなった時に、人は生命を閉じてしまいます。
生物学的生命を持続させるのは、パンや医療かもしれませんが、人の生を持続させるのはバラと夢ではないかと私は思います。
それを素直に認めれば、社会はもっと楽しくなるでしょう。

問題は、私自身が最近夢を見失いがちなことです。
生物的寿命はまだ残っているようですが、そろそろ人生の終期が近づいているのかもしれません。
夢がない人生は、私には意味がありません。
お金よりはバラが必要です。

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2014/10/30

■節子への挽歌2614:心配される歳になりました

節子
節子もよく知っているTさんから電話がありました。
Tさんは、先週、病院で手術をしたところです。
エヴィーバで友人と食事をしていたので、気がつかなかったのです、たぶん退院したのだろうと、コールバックしました。
ところが、まだ病院でした。
術後にいろいろあるようで、退院が延びたのだそうです。
明日、会えるかと思っていましたが、少し先になりそうです。

それはいいのですが、声の調子に何か不安を感じさせられました。
お互いに、生死に関してはあっけらかんと語れる仲ですが、声の調子が違うだけで、言葉とは全く違うものが伝わってくることを実感しました。
こちらから電話したので、もしかしたら病室で、小さな声しか出せなかったのかもしれません。
しかし、どうもそれだけではない感じです。
何やらとても気になります。
1週間ほど延びただけだと彼は言いますが、それこそ蛇足というものでしょう。
1週間ではないなという気にさせられました。
でもまあ、Tさんのことだから、元気に戻ってきて、私とまたけんかをすることになるでしょう。
そうでなければいけません。
まだ論争の決着がついていませんし。

ところで、こういうことが、最近は少なくありません。
友人知人に連絡するのに躊躇する年齢になってしまったというわけです。
もっとも、それは他人事ではありません。
私自身も、そう思われているのかもしれません。
というのは、先週も久しく会っていない滋賀の友人から、メールアドレスが変わったというメールが来ました。
ほとんどメールのやり取りのない友人です。
節子も知っているYさんです。
「ご無沙汰してます」と返信したら、「お元気でお過ごしの様子、安心いたしました」とすぐに返事が戻ってきました。
つまり、気にしてくれていたわけです。
ま、そんな歳になってきたわけです。
年内は難しいかもしれませんが、滋賀に行こうと思います。
懐かしい友人たちを集めてくれるそうですので。
みんな節子もよく知っている人たちです。
滋賀の生活はとても楽しかったですね。

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2014/10/29

■節子への挽歌2613:降圧剤を飲むのをやめました

節子
高血圧だと言われて、この数年飲んでいた降圧剤を飲むのをやめました。
きっかけは、「つくられる病」という本を読んだからです。
血圧が高くなるのは、身体がそれを必要としているからだと書かれていました。
あまりに高いのは問題ですが、「正常」と言われる数値は、なぜかどんどん下がっているのだそうです。
降圧剤市場は、それによって急拡大していると書いてありました。
それを知った以上、とりあえずは飲むのをやめてみたわけです。
こういう、いわゆる「素人の生兵法」というのが一番危ないのです。
しかし、節子は知っていますが、私は知った以上、やってみるのが信条なのです。

服用をやめてから1週間経過しました。
とりわけ異常は出てきません。
血圧計で測ってみたら、185/95でした。
3回測りましたが、まあそんなものでした。
これを正常とみるかどうかは微妙ですが、まあもう少し続けるとともに、血圧を自然に下げるようにしようと思います。
しかし、どうすればいいかわかりません。
ただただそう念ずるだけですが。

ちなみに私は塩分を取るほうです。
節子がいるころはいつも注意されていましたし、今も娘に注意されています。
しかし、それを減らすつもりはありません。
そうするならば降圧剤を飲めばいい話ですから。

自然に生活していて、それでも血圧が高いのであれば、どれもまた仕方がありません。
血圧の上が200を超えるまでは、もう少し薬はやめてみようと思います。
もちろん調子がおかしくなっても、薬を飲む予定です。

節子が入院していたころは、医療への信頼はかなりあったのですが、
最近、精神医療関係の本を読み続けているせいか、医療体制への不信感が高まっているのです。
困ったものです。

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2014/10/28

■節子への挽歌2612:付き合い世界

節子
最近めっきり受信するメールが減りました。
最近は平均して1日に100通くらいでしょうか。
しかもそのうち、半分以上は勝手に送られてくるメールです。
迷惑メールなどは別枠に排除されるようにしていますが、それでもなぜかいろんなメールが届きます。
実際にメッセージに対応すべき個別のメールは、最近はせいぜい30通以内です。

ホームページへのコメントも最近はなくなりました。
おそらくホームページはすでにメインの個人情報メディアではなくなっているのでしょう。
ブログも、フェイスブックと違い、コメントはほぼなくなりました。
以前は、1日気分が沈むような辛辣なコメントもありましたが、最近はなくなりました。
そもそもネット上がにぎやかになりましたから、私のようなくどくどしくややこしい議論のサイトは時代遅れなのでしょう。
ましてや、この挽歌編のように、書き手のためのサイトは読まれる方がめずしいということでしょう。
読んでくださる方には、感謝しなければいけません。
幸いなことに、どのくらいの人が読んでくださっているかは、書き手の私にはわかりません。
それに誰が読んでくれているかもわかりません。
時々、読んでいるという人に会って、いささか恥ずかしい気分になることもありますが、挽歌と時評がありますので、どちらを読んでいるかあいまいにできるのがせめてもの救いです。

今年は紅葉でも見に行こうかという気になり始めていたのですが、いろいろとあって、今年もまた行けそうもありません。
あいかわらずストイックな生き方を続けています。
それもあってか、行動範囲は最近かなり狭まっているような気がしますが、これもまた「健全な老化」のあらわれなのかもしれません。
それに「老化」は必ずしもマイナスベクトルではなく、行動範囲を狭くなっても、世界は狭くならないのかもしれません。
動かなくとも以前よりも世界は見えるようになってきました。
彼岸に行けば、さらに世界がよく見えるのでしょう。
そんな気がします。

連絡が途絶えた友人知人が何人かいます。
しかし考えてみると現世での連絡などあまり必要ないのかもしれません。
友人知人を悲しませないためにも、付き合いの世界は徐々に小さくしていくのがいいのかもしれません。

今日は何やらおかしなことを書いてしまいました。
一昨日の老夫婦の映像が頭から離れません。

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2014/10/27

■再論:生きる権利と生きる責任

昨日のテレビ報道の関係か、それに言及した挽歌編へのアクセスが増えているようです。
挽歌編のため、尊厳死に関して、あまり的確な記事にはなっていないので、時評編でも少しだけ書いておこうと思います。

昨日テレビで報道されたのは、脳腫瘍で医師に余命が6か月以内と告知された、29歳の女性が、11月1日に尊厳死することをユーチューブで流した話とスイスにある自殺ほう助を使命とするNPOの話です。
挽歌編に少し内容を書きましたが、自殺に追い込まれることのない社会を目指しての活動をしている私としては、いささか気になる内容です。
こういう番組が自殺者を誘発することが心配です。
報道するほうは、そのあたりをしっかりと踏まえていただきたいと思います。

言葉遣いの問題もあります。
番組では主に「安楽死」とか「自殺ほう助」とかいう言葉が用いられていましたが、いずれも「尊厳死」と表現するだけでイメージは一変します。
自殺ほう助をミッションとするNPOなどという表現は誤解を招きます。
尊厳な生き方を支援するNPOとしてほしいものです。

この種の番組では、いつも「死ぬ権利」「死ぬ自由」ということを言う人がいます。
その発想がそもそも私には受け入れがたいのです。
生きるということは権利ではなく、責任だろうと思うのです。
生まれた時から自立した人間など、一人もいません。
たくさんの人たちに支えられて生きてきたわけですから、自立した後は、生きる責任が発生すると考えるべきでしょう。
それに、人は一人で生きているわけではなく、たくさんの人たちとの支え合いの中で生きています。
無縁社会とか孤立とか、言われますが、それは大いなる勘違いでしかありません。報道による暗示にかかってはいけません。
テレビドラマで、「私が死んでも悲しむ人など一人もいない」という人に向けて、「そんなことはない。誰それが悲しむでしょう」などという場面がありますが、悲しむ人は必ずいます。
もし万一いないとしたら、その人はすでに生きていないだけです。
そういう状況になった時に、必ず悲しむ人がいたはずです。

人は、生きていく責任があるのです。
死ぬ権利という表現に対応させれば、生きる義務がある。
そして周りの人たちには、死なせない義務がある。

尊厳死の話は、そうした次元の話ではありません。
ここでも尊厳「死」と表現するからおかしくなるのだろうと思います。
生きることの尊厳さを守るという意味で、尊厳生というのが私にはぴったりします。
しかし、ここでまた、私の性格の悪さが出てしまうのですが、今の日本では尊厳生を生きている人はほとんどいないように思います。
尊厳死を問題にする前に、まずは今の生き方を変えることにこそ、関心を向けるべきです。
とりわけ報道関係者には、それを期待したいです。
興味本位で、取り上げてほしくありません。
取り上げる以上、しっかりした覚悟を持ってほしいです。

なお、同じようなことを以前も書いているので「再論」としました。
自殺する権利と生きる義務

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■エボラ熱とイスラム国

いま世界の国家は2つの危機に直面しています。
エボラ出血熱とイスラム国です。
エボラ出血熱は国境を越えて、世界中に広がりだしていますし、イスラム国もシリアやイラクといった限定された地域を超えて、その脅威が広がっています。
エボラ熱を引き起こしている生物は人間ではないので、人間が勝手に線引きした国境などには無縁ですし、イスラム国もまた「国」を冠しているとはいえ、国境を越えたイスラム思想がその主体なので、国家概念を超えた動きになるのは当然です。
つまり、この2つは、まったく別物であるように見えますが、現在の世界の構造に対する異議申し立てという意味では同じものです。
そのためか、それに対する国家や人々の反応も、どこか似ています。

エボラ出血熱とのたたかいは、おそらく制圧できるでしょうが、イスラム国の制圧は無理ではないかと私は思います。
なぜなら、前者は人間全体の外への戦いであるのに対して、後者は人間同士の内なる戦いだからです。
前者は人間をつなげていきますが、後者は人間のつながりを分断化していきます。

心の中に宿る思想ほど、移り気なものはありません。
身体に宿るウィルスや最近も移り気ですが、思想は距離や時間を超越しているだけ扱いにくいのです。

近代国家という枠組みは溶融しつつありますが、加速されることは間違いありません。
ちなみに、規模の大きさから組織をランキングしていくと、上位100組織に関しては、ほぼ6割が企業、4割が国家と言われています。
企業組織のほうが国家組織よりも主役になっているといってもいいかもしれません。
しかし、それとはまったく違った組織形態が生まれつつあるのかもしれません。
人間を宿主として位置づけ、そこに宿るものによって構造化するような世界も、必ずしも絵空事ではなくなってきました。

思い出すのは、ハインラインの小説「人形もどき」です。
50年前に読んだ小説が、今まさに現実化しつつあるような気がしてなりません。

恐ろしいのは、この2つの流れがつながることです。
すでに、アメリカではエボラ出血熱の疑いのある人たちが、犯罪者のように扱われたという報道もあります。
そう遠くない先に、つながってしまうことの恐ろしさを感じます。
昨日の記事と同じ結論になってしまいました。

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■節子への挽歌2611:官兵衛のあくび

節子
最近、予定表に空白が増えてきました。
会社を辞めて、節子と一緒に活動を開始した時には、何も働きかけなくとも、手帳はかなり先まで黒く埋まってしまいました。
そのため、毎年年初に予定帳に毎週2日間、何も予定を書き込めないように、最初に黒く塗りつぶしていたことを思い出します。
しかし、今はそんなことをしなくとも、予定表が埋まることはありません。

私が、いわゆるビジネス的な仕事を辞めたのは、節子が発病した翌年からですから、もう10年以上、ビジネスワークはしていないことになります。
もちろん、節子がいなくなってからは、時々、それらしきこともやっていますし、2年ほど前にはある理由でお金をもらう仕事をしたくなったのですが、10年も間が空いてしまうと、そう簡単ではありません。
ただ、ビジネスワークをしなくとも、ソーシャルワークと私が呼んでいる仕事はあります。
それも3年ほど、ほとんどやめていました。
それが復活してきていますが、それでも手帳が埋まるほどではありません。

しかし、だからと言って、何もしていないわけではなく、時に時間の工面が難しくなるほど、バタバタしてしまうこともないわけではありません。
それでも基本的には、忙しいほど暇なのです。
つまり、心を見失うほど退屈だと言うことです。

昨日、大河ドラマ「黒田官兵衛」を見ていたら、隠居した官兵衛があくびをしながら、物足りないと嘆いていましたが、奇妙に共感してしまいました。
しかし、彼の隣には、苦楽を共にしてきた妻のてるがいます。
私の場合は、節子もいないので、ともかく退屈なのです。
だから畑に行って、無思の時間を過ごしたり、読書に逃げ込んだり、サロンを開いたりしているのですが、要するに何かが抜けているような気がしています。
何が抜けているのか、官兵衛のあくびを見て、少しわかったような気がしました。
しかし、いまさら生き方を変えるわけにもいきません。

黒田官兵衛のあくびは、いろんなことを考えさせてくれました。
節子が隣にいたら、考えもしなかったでしょうが。

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■節子への挽歌2610:毒杯による尊厳死

節子
安楽死問題に衝撃を与える事件が、いまアメリカで起こっています。
末期の脳腫瘍で医師に余命が6か月以内と告知された、29歳の女性が、11月1日に尊厳死することをユーチューブで流したのです。
昨夜のテレビが、それに関連して、安楽死(尊厳死)の問題を特集していたのを見たのですが、実に後味が悪く、寝付かれませんでした。
いまもまだ気分がよどんでいるのですが、ここに書いてしまって、そこから抜けようと思います。

その番組で、イギリスの老夫婦がスイスの「尊厳死を支援する施設」(スイスでは尊厳死のための自殺ほう助が認められています)に行き、4か月の話し合いの中で、結局、尊厳死を選ぶのです。
難病の夫が妻に手を握られたまま、自ら毒杯を飲んで死に向かう実景がなまなましく放映されました。
その場面が、あまりにも強烈だったの、寝付かれなかったのです。
もしかしたら、節子もそれを望んだことがあったかもしれません。
私に、それを暗示的に示唆したことがありましたから。
その時のことがまざまざと目に浮かびます。

イギリスの老夫婦は、尊厳死したのは夫だけです。
さすがに、死に直面していない妻の死をほう助することは認められていません。
しかし、もしかしたら、本当は妻のほうこそ、死にたかったのかもしれません。
送られる方と送る方では、間違いなく送る方が苦しいのです。
しかも、隣で尊厳死していく夫を見ていたら、それは忘れがたい記憶になって残るでしょう。

さらに・・・

とまぁ、私自身につなげながら、いろんなことを考えてしまったわけです。
その気持ちを書くことで抜け出そうと思ったのですが、逆効果でした。
ますますいろんなことが思い出されてしまいました。
ますます気分は重くなってしまいました。
オフィスに行く予定だったのですが、今日はやめようと思います。

ちなみに、余命宣告を受けて、尊厳死を決めた女性が、別の医師の忠告で病気に立ち向かい、14年経った今、元気で暮らしている姿も報告されていました。
節子も、奇跡が起こる一歩前まで行ったのです。
何が起こるかはわかりません。
やはり私は、毒杯を飲む方法には断固反対です。

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2014/10/26

■ゆりかもめの座席の恐ろしさ

今日、テレビでゆりかもめの座席の話を知りました。
ゆりかもめでは、足を投げ出して座る人が多く、それに対する苦情が多かったそうですが、座席の形を変えたら、苦情がゼロになったというのです。
どう変えたかというと、座席に傾斜をつけ、足を投げ出しにくくしたのだそうです。
その番組の出演者の一人は、そうした工夫もいいけれど、そもそも電車内で足を投げ出すようなことをしないようにすることが大切だと言っていました。
みなさんはどう考えるでしょうか。

先の記事で社会から人間がいなくなってきたというサロンの報告をしましたが、こういう話は、まさにそのテーマにつながっています。
かつての人間は座席の一部にさせられようとしているわけです。

ファストフード店は座り心地の悪い椅子にすることで、回転率を高めているというのは、有名な話です。
こうした発想は、「アーキテクチャ」による意識管理と言われます。
価値観やルールを個人に教え込むのではなく、個人を無意識のうちに操作できる環境にしていくということです。

社会の秩序を維持していくために、法律や慣習などがありますが、それと並ぶ方法として、アーキテクチャという方法があるのです。
「アーキテクチヤ」、日本では環境管理型権力などと表現されますが、このポイントは、人の行為の可能性を「物理的」に規定してしまうにもかかわらず、本人はその行為を自発的なものと認識するということです。
つまり、規制されているにもかかわらず、そう思っていないと言うわけです。
最近では、アーキテクチャを用いた社会設計が広く展開されています。

考えてみると、恐ろしい話です。
もし、恐ろしいと感じないとしたら、もうすでに人間であることをやめて部品化の道を歩んでいると疑った方がいいでしょう。
たしかに、主体性など放棄すると、実に生きやすくなるのが、現代の日本社会です。
それをだめだとは、私には言えません。
私の周りの、おそらく9割の人は、もうそっちに向かって進んでいますので、引き止める気はありません。
生き方は、人それぞれですから。
長年飼っていたわが家の犬(ちび太)は寝たきりになっても介護され、獣医が驚くほど長生きしましたが、私には彼が幸せだったかどうかは何とも言えません。
しかし、わが家が引き取らなかったら、ちび太は早々と殺処分された可能性が極めて高いのですから、幸せだったとも言えます。

話がそれてしまいましたが、アーキテクチャは必ずしも物理的な環境とは限りません。
テレビで毎日報道されている情報やドラマもまた、私たちの意識を操作管理しています。

ちなみに、今度ゆりかもめに乗ったら、足を投げ出してみたい気もします。
しかし、それもまた結局は意識を管理されていることになります。
まったくもって、生きづらい社会になってしまいました。
地球から生きた人間がいなくなるのは、そう先のことではないのかもしれません。

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■「社会から生きた人がいなくなった」サロンの報告

このブログでもご案内した、ちょっとハードなカフェサロンの4回目のテーマは「社会から生きた人がいなくなった」でした。
問題提起者の楠さんを含めて、10人集まりました。
楠さんは、フランクフルト学派の研究者です。
以前、彼のホルクハイマーに関する著作を読ませてもらい、ぜひその続編が聞きたかったのです。

楠さんが、しっかり準備してくれていて、フロイト、フロム、ベンジャミンから始まり、現代日本への問題提起へと、きっちりと話してくださいました。
とても整理できました。
結びの言葉は、なんと東田直樹さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」の一節でした。
引用させてもらいます。

僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。 自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。
意外な結びでしたが、まさにテーマにふさわしい結語だと感心しました。

話はいろいろと広がりましたが、勝手な結論で言えば、「社会の普通」の幻想に呪縛されて生きるのではなく、「自分の普通」を大事にしようと言うことでしょうか。
生きた人間は、みんなそれぞれに違うのです。
社会の規格や常識に合わせる必要はありません。
もっと自然な自分に素直に自信を持ちましょう。
そうすれば、他者にももっと寛容になれるかもしれません。
それこそが、社会に人が戻ってくる出発点かもしれません。
とまあ、私はそんなことを考えました。

人間を起点にした社会に向けて、どうしたらいいか。
問題提起してくださる方がいたら、ぜひ次回のサロンのスピーカーになってください。

なお、サロンでの話し合いについて、参加者のおひとりの李祥さんが、ご自分のフェイスブックでかなり詳しく書いてくださっていますので、私のフェイスブックにもシェアさせてもらっています。
もしよかったらお読みください。
https://www.facebook.com/cwsosamu

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2014/10/24

■医師と農夫

この1か月ほど、イタリアの精神医療改革の書籍や論文を読んでいます。
それだけではなく、日本の精神医療に関する歴史も少しだけ読んでいます。
読めば読むほど、何やら社会の闇が見えてくるのが恐ろしいのですが、私自身にも深くかかわってくる気がして、抜けられなくなっています。
それに、イタリアの精神医療改革を先導したフランコ・バザーリアの考えは、私がずっと考えてきたものととても重なっています。
それもあって、とまらなくなっているのです。

今日は、ジル・シュミットというスイスのジャーナリストによるイタリアの精神病院解体レポート「自由こそ治療だ」という本を読んでしまいました。
そこに書かれている、彼女とバザーリアの対話は、それこそ感動的ですが、それは置いておいて、やはりそこに出てくるある精神医療にかかわる医師の言葉に感動したので紹介することにしました。

精神障害のある人が繰り返し、医師に苦労を掛けます。
挙句の果てに自殺未遂まで起こしてしまう。
そこでその医師に著者が、「再び監禁してしまった方がよいのではないか、と思いませんか」と訊いたところ、医師は首をふって次のように言ったというのです。

いいえ、いいえ。我慢しなければいけません。
私たちは農夫のようなものです。
畑を耕し、作物を植え、収穫を待ち望むのです。
それから霰が降り、すべてをオジャンにしてしまう。
でも、それでも農夫は諦めません。
彼は翌日またはじめます。
そして今度はもっとよいことを期待するのです。
とても元気づけられる言葉です。
日本にも、こんな医師はいるのでしょうか。
バザーリアの世界では、医師と農夫とが同じなのです。
日本では、もしかしたら対極かもしれません。

そういえば、テレビの「小さな村の物語 イタリア」では、こういう話が多いです。
以前、医療も含めて、「改革」の話を10回シリーズで書きましたが、改革を可能にするのは、やはり人間観だと改めて確信しました。
それを抜きにした「改革」はありえないでしょう。
私の人間観がますます好きになりました。

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■節子への挽歌2609:それでも農夫は諦めません

節子
どうも医療と福祉のありかたに縛られてしまっています。
今日は、やはりイタリアの精神病院解体レポートの「自由こそ治療だ」という本を読んでしまいました。
最近、毎日2時間ほど読書しています。

「自由こそ治療だ」のなかで、とても感動的な言葉に出会いました。
精神障害のある人が繰り返し、医師に苦労を掛けます、
挙句の果てに自殺未遂まで起こしてしまう。
そこでその医師に著者が、「再び監禁してしまった方がよいのではないか、と思いませんか」と訊いたところ、医師は首をふって次のように言ったというのです。

「いいえ、いいえ。我慢しなければいけません。私たちは農夫のようなものです。畑を耕し、作物を植え、収穫を待ち望むのです。それから霰が降り、すべてをオジャンにしてしまう。でも、それでも農夫は諦めません。彼は翌日またはじめます。そして今度はもっとよいことを期待するのです」。
とても元気づけられる言葉です。
むしろ「時評編」ネタなのですが、節子にも教えたくて、挽歌編に書いてしまいました。
節子と一緒に、こういう生活をしたかったと、つくづく思います。

それにしても、この言葉は気に入りました。
今日もまた畑に行けませんでしたが(明日も出かけるのでだめですが)、日曜日にはやはり畑に行きましょう。
時評編にも、やはりこの言葉を紹介しましょう。

実に気に入りました。
そういえば、「小さな村の物語 イタリア」では、こういう話が多いです。

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2014/10/23

■節子への挽歌2608:寒くて暗い1日

節子
今日は自宅で仕事をしていたのですが、あまりの寒さに、こたつが欲しいくらいでした。
今年もまた、秋らしい秋はなく、冬が来そうです。
衣替えをしようと、秋冬の衣服を出し始めていますが、衣替えも結構面倒です。
季節の変わり目には、何を着たらいいか迷います。
秋冬をすべて出して広げたところで、やめてしまいましたので、寝室は寝るところがない状況です。
困ったものです。

雨のために、畑にはいけませんでした。
1日、自宅にいると、なんだかとても疲れます。
仕事の合間に、本を読んだのですが、その本がこれまたかなり暗い本で、そのせいか、夕方にはやる気が失せてしまいました。
その本は、少し古い本ですが、芹沢一也さんの「狂気と犯罪」という本です。
最近、精神医療の関係の本を読んでいるのですが、読めば読むほどに暗くなります。
この種類の本を読みだしたきっかけは、大熊一夫さんの「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」という本を読んだのがきっかけです。
大熊一夫さんの本は、実は40年以上前に読んだことがあります。
「ルポ・精神病院」という本です。
朝日新聞の記者だった大熊さんが、アルコール依存症を装って、精神病院に入院し、その体験録を書いた本です。
40年以上前の本ですが、この本は忘れたことがありません。
最近の状況も含めて、3冊ほど読んでみましたが、日本の状況はあの頃からあまり変わっていないようです。
気分が暗くなりました。
「ルポ・精神病院」を読んだのは、節子と結婚する直前です。
節子とかなり話題にした記憶があります。

当時から、精神障害者を取り巻く環境はそう変わっていないようです。
いや、ある意味ではもっとひどくなっているかもしれません。
少し前に、精神病院に勤務している作業療法士の方が湯島に訪ねてきました。
少しだけお話を聞きましたが、まだそんな状況なのかと驚いたものですが、どうもその話は特別な事例ではないようです。
彼女は最近、病院をやめました。
理由は知りませんが。

「狂気と犯罪」は、日本における精神障害者を取り巻く歴史と現状をするどい批判の目を持ってまとめたものです。
読んでいるうちに、日本の警察や医療、さらには司法の世界に、怒りがわいてきました。
怒りの対象が、あまりに大きいので、私には行動を起こす勇気はありませんが、精神的にはよくありません。
これが高ずると、私も病院に連れ込まれるかもしれません。
まあこれは冗談ですが、もし私がもう少し早く生まれていたり、ちょっとどこかでミスを犯していたら、私も精神病院に措置入院させられていた可能性はたぶんにあります。
そう思うと、ますます暗い気分になります。

とまあ、寒いうえに、暗い1日になってしまいました。
もうこの種の本はこれでお終いにしましょう。
明るい本を探して読まなければいけません。

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2014/10/22

■節子への挽歌2607:突然仏門に誘われた若者が湯島に来ました

節子
18歳の足立さんは、朝起きたら、突然仏門に誘われる声を聞いたそうです。
それまで一切、仏教のことは考えたこともなかったのに、です。
そして高野山大学に入りました。
そして、20歳の時、日本における葬儀のあり方に違和感を持ったそうです。

足立さんと言っても、節子は誰のことかわからないでしょう。
それは当然で、私も今日、初めてお会いしたのです。
湯島には全く別の用事でやってきました。
しかし、話していて、その分野の人ではないものを感じて、初対面にもかかわらず、「あなたはどういう人ですか」と質問させてもらったのです。
そうしたら冒頭の言葉が返ってきました。
なるほど、と納得できました。

高野山と言えば、節子と一度、宿坊に泊まらせてもらいました。
友人の断食の満行日でした。

足立さんの大学の卒論は、空海とカントに関するものだったようです。
少しだけ、お話を聴かせてもらいました。

それからお葬式の話になりました。
現代では、葬式が生活と切り離されたイベントになっており、お寺との付き合いもその時だけのものになりがちです。
しかし、お寺の役割はもっと大きいのではないかと、足立さんは思っているようです。
まったく同感です。
お寺ができることはたくさんあります。
キリスト世界の教会のように、生活の中心に置かれてもいいはずです。
事実、節子の生家の集落は、そうでした。

足立さんのビジョンを少しだけ教えてもらいました。
もう一度、足立さんと話したくなりました。

節子
湯島には、相変わらずいろんな人が来ます。
来ないのは、節子だけですね。

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■入院すると得をするってほんとですか?

友人が、ちょっと深刻な病気で手術入院することになりました。
何回か目の入院です。
繰り返しの入院なので経済的にも大変だろうと心配しましたが、彼が言うには、入院すると保険から100万円おりるそうなのです。
こういう話は時々聞くことがあります。

彼はまた、入院中の待遇の良さも話してくれました。
最近話題になっているので、「そこでは患者様扱いされるのか」と訊くと、まさにそうだと言うのです。
名もない民間病院ではありません。
れっきとした有名な大学の病院です。
そういえば、大学でも学生をお客様扱いしているのかなと思いました。

お金ももらえて、待遇もよく、快適な生活ができるのであれば、入院患者も増えていくことでしょう。
しかし、何かおかしい話です。
騙されているように思います。

10年以上前に、山形市で講演を頼まれました。
内容は忘れましたが、話した後に、「行政はサービス業だと思いますか」と会場から質問がありました。
当時は、行政もサービス業だという言説が広がっていたのです。
私は即時に、「思いません」と答えました。
質問者は失望したようでした。
会場には私の知り合いも来ていましたが、明らかに彼もまた失望していたように思います。
しかし、私の感覚からは、行政がサービス業であるはずはありません。
もちろん、行政職員が「公僕」だなどとは私は全く思っていません。
そういう発想が日本の自治体や地域社会を壊してきたのです。

医療も同じで、断じて、サービス業であってはなりません。
昨今の新自由主義の流れの中では、医療も産業化され、病院もサービス機関になってしまったのでしょう。
いや、サービス機関ではとどまらず。顧客創造機関にさえなってきています。

クリストファー・レーンは、その著書「乱造される心の病」で、「クスリを売るならまずは患者をつくれ」という状態になっている「精神病産業」の現実を告発しています。
しかし、これは精神病産業だけの話ではありません。
病院は今や、病気を治すどころか、医療市場の拡大を使命にしだしているのではないかと思うほどになってきています。

医療関係者は、こうした動きをどう考えているのでしょうか。
そろそろ病院の外へ出てきませんか。

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2014/10/21

■節子への挽歌2606:物忘れ度の向上

節子
最近、物忘れが多くなってきました。
今日、図書館から予約していた本が準備できたのでという連絡がありました。
時間があったので、図書館に行ったのですが、なんと肝心の図書カードを忘れて、出直すことになってしまいました。
出直すついでに、もう1冊予約しようと、予約カードを書いて提出してきました。
帰宅したら電話がありました。
図書館からで、予約カードの本は、先ほど、佐藤さんに貸出しました、という電話でした。
つまり、私が今日借りてきた本を、新たにまた予約してきたというわけです。
健全な老化による認知力の低下を超えているかもしれません。

もっとも、こうした物忘れは、老化のせいではなく、生まれつきなのかもしれません。
若いころから、こうしたことは決して少なくなかったからです。
お金を持たずに喫茶店に入ったり、レストランでお金を払わずに出ようとしたり、まあいろいろとありました。
それで、いつの間にか、私はお金を持たないようになり、すべてを節子に任せるようになりました。
私の物忘れのひどさは、節子がカバーしてくれていたのかもしれません。
もっとも、その節子も私と同じく、物忘れをよくするタイプでした。

私は今、認知症予防ゲームの普及にささやかにかかわっています。
にもかかわらず、私は認知症という概念を認めていません。
なんでもかんでも病気にしてしまう風潮がなじめないのです。
物忘れが激しくても、生活に不便はないように思っています。
周りの人が迷惑だと言う人がいますが、それくらいの迷惑は我慢してもらいたいものです。
と、節子がいたころは考えていました。
しかし、節子がいない今は、そうも言ってはいられません。
やはり私も認知症予防ゲームをやらないとダメでしょうか。

さてさて悩ましい問題です。

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■小渕経産相の辞任会見を見ていてぞっとしました

昨日、辞任した小渕経産相の記者会見を見ていて、何やらぞっとした気分に襲われました。
小渕さんを非難する意図はないのですが、今という時代の実相を見るような気がしたのです。

小渕さんの受け答えは実に見事でした。
リスクマネジメントの常道をきちんと押さえていますし、何よりもぶれない信念と素直な知性を感じました。
こんな有能な若い政治家を、おそらく彼女自身の知らないところで行われていた「従来の慣行」で辞任させるのは、なにか割り切れないものを感じたほどです。

では、なぜ私がぞっとしたか。
表情がないからです。
まさに、あれはロボットの記者会見でしょう。
冷静に、理路整然と、客観的に正誤を判断し、政治家にはめずらしく、質問に正面から応じています。
素直に聞いていると同情したくなります。
しかし、表情がないのです。
もう一人の辞任大臣とは大違いです。

繰り返しますが、私は小渕さんを非難しているのではありません。
そうではなく、彼女から見えてくる時代状況に大きな不安を感じているのです。
現代社会は、ともかくストレスの多い社会です。
とりわけ、国家の権力機構の一翼を担い、しかも男性社会の中で女性の代表のように期待されている小渕さんのストレスは想像を超えるほどに大きいでしょう。

現代社会で大きな責任ある立場に立つためには、ストレスに負けず、感情などにも振り回されない。超人さが必要です。
超人というよりも、むしろロボットと言った方がいいかもしれません。
大きな機構の中で、狂うことなく正常に作動しなければ、機構自体が危うくなるからです。
小渕さんを見ていると、まさにそうしたロボットを感ずるのです。

近くで取材した人の話では、唇は乾き、手の指先は小刻みに震えていたそうですから、小渕さんは間違いなく人間でしょうが、人間がロボットを演じなければいけない時代が、ぞっとするのです。
小渕さんが、薬物を使用していなければいいのですが。

もう人間の政治家は不要になってきているのかもしれません。
安倍首相が言う女性の活用とは、女性をロボット化することなのかもしれません。
ますますぞっとしてしまいます。

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■歴史はいい方向だけに進むものではありません

先日、ある集まりで、精神障害者を私宅監禁する座敷牢の話が話題になりました。
障害者を排除する社会が話題だったのです。
だから江戸時代以前に戻れば、社会はもっと住みやすくなるのにと私は発言しましたが、だれからも賛成を得られませんでした。
こういう経験はよくあります。
おそらく私と多くの人のずれは、歴史はいい方向に進んでいるという前提で考えるかどうかです。
少なくとも私は、歴史は必ずしもいい方向には進んでいかないと考えています。

精神障害者の座敷牢は明治から昭和にかけての話です。
しかしみんななんとなく江戸時代にも行われていたと考えているような気がします。
たしかに江戸時代にも「座敷牢」はありましたが、それは精神障害者を閉じ込めるものではありません。

日本で「精神病者監護法」ができたのが明治33年です。
これは、精神病者はなるべく病院に収容すべしという法律です。
しかし、当時の日本は、財政難の時代で、病院はつくれないため、「患者は家の中の奥まった所に閉じ込めておき、外に出すな」という私宅監置が始まったのです。
これが精神障害者の座敷牢の始まりです。

明治にあったのであれば、当然、江戸時代にもあっただろうと、私たちは考えがちです。
そこに「進歩史観」の落とし穴があります。

私たちが持っている過去のイメージは、教育で構築されています。
自らの時代を正当化するために、政府は一昔前の時代を「悪しき時代」と教え込みます。
時代はいい方向に進んでいるというわけです。
これは、私たちにとっても受け入れやすい考えです。

しかし、歴史はそんなように、いい方向にだけ進むわけではありません。
この頃、多くの人と話していて、みんな実に真面目に学校教育で学んできたのだなと思います。
私は、学ぶことは大好きでしたが、幸いに学校は嫌いでした。
そのおかげで、余計な知識をあまり背負わずにすんでいます。
もっとも、そのために、いささか最近は生きにくいことも多いのですが。

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2014/10/20

■節子への挽歌2605:赤い唐辛子

節子
畑での野草とのたたかいは、ようやく決着がつきました。
昨年と違って今年は私が畑を制しました。
刈り取った篠笹は堆肥にならないので、袋詰めしてごみとしてほとんど処分し、堆肥になりそうな草は穴を掘って埋めました。
まだ耕して、畝をつくるところまではいきませんが、近々、耕耘機を購入して、耕すつもりです。
今年は野菜はほとんどダメでしたが、最後に赤い唐辛子が数本実っていたので、抜いてきて、節子に供えました。

今年はわが家にはあまり良いことは起こらずに、厄払いが必要なほどですので、これで厄除けでも作ろうかと思います。
しかし、以前も一度、だれかから立派な赤い唐辛子の束をもらったのですが、あの年もあまり厄払いにはならなかったような気もします。
わが家よりも、きっと困っている家が多いのでしょう。
わが家で厄を祓えば、どこかにその厄が行くかもしれないので、軽々に厄払いするわけにもいきません。
しかし、できればわが家の厄も祓いたいものです。

野菜はダメでしたが、節子が植えたミカンは今年4つ実りました。
植えてからもう10年近くたつのですが、なぜか大きくならずに、しかも実がならなかったのです。
今年はめずらしく実りました。
何しろわが家の農園は、宅地造成されたところの空き地の一画なので、土壌はひどいものです。
家屋建設の時の様々なものが埋まっていたり、とても畑などとは言えません。
ですから樹木でさえ難しいのです。
わが家から移植した日本イチジクも枯れてしまいました。
幸いに小さな枝を挿しておいたのが根付いてくれましたので、何とかこれを復活させたいと思います。
2年後には節子に供えようと思います。
節子は、この木のイチジクだけは好きでしたから。

節子がいたころに、もっと一緒に畑をすればよかったと後悔しています。
最近また後悔することがいろいろあります。
後悔しても何の意味もないばかりか、逆に気分が重くなるだけなのですが、後悔するような材料がたくさんあるのです。
それが心にたまってくるのはよくありません。

畑に穴を掘って、草を埋めましたが、草と一緒に後悔の種も埋めてしまえればいいのですが。

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2014/10/19

■5人の女性閣僚は「女性活躍」の象徴です

安倍内閣の看板ともなった5人の女性閣僚が、それぞれ問題になっています。
松島法相のうちわ事件は論外として、小渕経産相の問題も、私にはあまり関心はありません。
私の関心は、高市総務相、山谷拉致問題担当相、有村女性活躍相が靖国神社の秋季例大祭に参拝したことです。
彼らが選ばれた理由が納得できました。
同時に、安倍政権が言うところの「女性活用」の意味も理解できました。

5人の言動をテレビで見ていると、いま話題の「クマラスワミ報告書」を思い出してしまいます。
「クマラスワミ報告書」は、日本軍性奴隷制(慰安婦問題)に関するラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」(1996年4月の国連人権委員会において全会一致で採択)のことです。

日本は全く変わっていないのかもしれません。
まともな女性に閣僚になってもらいたかったです。

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■節子への挽歌2604:悩みを荷担できるか

節子
昨日、自宅で暮らせなくなった人たちのセーフティネットをテーマにしたサロンを湯島で開催しました。
7人の参加者がありました。
参加者の一人は、自宅で暮らしている人たちのセーフティネットに取り組んでいる人です。
まったく視点が反対ですが、いずれも40代後半の女性です。

参加者の半分は男性でしたが、男性と女性とでは現実感が違います。
女性は、将来の自分の問題として考えていますが、男性はむしろビジネスとして考えています。
老後の生き方に関して、やはり男女の思考は違うようです。

この種の集まりをこの数年かなりやってきました。
40代から50代の女性が、自らの老後の生き方を真剣に考えています。
それに比べて男性は、必ずしも現実感を持って考えていないような気がします。
自分の人生を真剣に生きているのは、女性たちなのかもしれません。
男性はどこかで女性に依存している気がします。
私自身がそうだからなのかもしれませんが、いつもそう思います。

少なくとも私は、将来のことをあまり考えずに生きてきました。
その咎が、今頃になって、私を襲ってきているのですが、それにもかかわらず、相変わらず先のことは考えられません。
いまは何一つ不自由なく生きていますが、これがずっと続くとは限らないでしょう。
それはわかっているのですが、先のことが考えられないのです。

深い喪失体験をされた方には、わかってもらえるかもしれませんが、時間感覚がなくなるのです。
同時に、不安もあまりなくなります。
ただし、実体がよくわからない「不安感」はあるのですが。

不安もなく、未来もない。
それではたして「生きている」と言えるのか。
最近、時々、そんなことを考えます。

昨日、お会いした人が、ある事情で最近悩みが飛躍的に増えたそうです。
普通ならめげるところでしょうが、「人生にようこそ」って言われている気がするそうです。
悩みがあってこその人生。
悩めるのは未来があるからです。
その人の悩みを、少し荷担しようかなと思ったりしています。
もし担えるのならばですが。

生きているかどうか、確かめるのもいいかもしれません。

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2014/10/17

■節子への挽歌2603:降圧剤がまた10日ほど切れていました。

節子
最近調子が悪いのは降圧剤を飲んでいないからかもしれないと昨夜思い出しました。
節子も知っている遠藤クリニックの遠藤さんに言われて、数年前から高血圧のため薬を飲んでいるのです。
と言ってもかなりいい加減な飲み方で、よく忘れるのです。
そのうえ、最近、遠藤クリニックが転居し、少し遠くなったので、行くのが面倒なので、今月はじめに薬がなくなっているのですが、もらいに行っていないのです。
薬がないので飲めないのです。

それで今日、たまたま遠藤さんに娘が行くというので、薬をもらってきてもらいました。
遠藤さんは娘に、「お父さんは薬を飲んでいないようだね」と言いながらも、薬を出してくれました。
それでさっそく飲みました。
飲む前後に血圧を測ってみましたが、あんまり変化はありませんでした。

薬剤師の方から、飲んだり飲まなかったりするのが一番よくないと言われたことがあります。
まあしかし、人間は機械ではないので、薬が切れたからおかしくなることもないでしょう。
こういう素人判断がよくないのでしょうが、玄人判断がいいとも限りません。
人間の身体は柔軟性に富んでいるのですから。

薬嫌いと言えば、節子も薬嫌いでした。
もう大昔ですが、まだ医師が権力的だった時代(といっても40年ほど前ですが)、節子が風邪をひいて医者に行くことになりました。
そのお医者さんは薬をたくさん出すばかりでなく、注射もするお医者さんでした。
節子が私にも同行してほしいと言われて、私がついていったことがあります。
医師が注射を強く勧めてきたら、やめさせてほしいというのです。
前回は医師に負けたのだそうです。
私は待合室で待っていました。
そうしたら医師と節子の言い合いが聞こえてきました。
注射を打つかどうかもめているのです。
約束通り私も診察室に入っていき、結果的に注射はやめてもらったのです。

いまから考えると不思議な気がしますが、確かな記憶です。
そんなお医者さんなら、最初から行かなければよかったでしょうが、やはり前回医師に説得されたのが悔しかったのでしょう。
その後、節子はその医者には2度と行かなくなりました。
いまから思えば、節子もかなり性格が悪いですね。

まあ今は信じにくい話ですが、そういえば、その頃、私もあるお医者さんに行って、胃腸の検査をしてもらいましたが、結果を訊きに行くのをやめたことがあります。
何をされるかわからないような気がするほど、高圧的な医師だったからです。
そういうことを考えれば、最近のお医者さんは変わりました。

遠藤さんは節子のことをよく知っています。
どんなに辛くても弱音を吐かない人というのが、遠藤さんの節子評でした。
そんなことはないのですが、医師との人間関係はとても大事です。
言うことはあまり守りませんが、私は遠藤医師を気にいっています。
少し遠くなったのが残念です。

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■「こころのケア」???

とても気になる言葉があります。
「こころのケア」です。
最近は何か事件があると、被害者や周辺の人たちへの「こころのケア」が話題になり、テレビでも盛んにこの言葉が使われます。
その言葉を耳にするたびに、とてもいやな気分になります。
「ケア」という言葉が、なにかとても軽薄な技術のように思えてしまうのです。

私が「ケア」という言葉をしっかりと意識しだしたのは15年ほど前でしょうか。
当時はまだ「ケア」という言葉が新鮮でした。
最初に読んだ本は、ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」です。
そこで、ケアとは行為概念ではなく関係概念であることを知りました。
不勉強ながらとても共感しました。
次に読んだのが、池川清子さんの「看護―生きられる世界の実践知 」でした。
そこで感じたのは、これは医療や福祉の世界の話ではないということでした。
生き方の問題であり、あるいは社会のあり方、さらには組織のあり方にとっての、本質的な問題だと感じたのです。

2000年にコミュニティケア活動(コムケア活動)というのをはじめました。
その活動は今も続いていますが、その活動を通して「ケア」ということの意味がだいぶわかってきたつもりでした。
ですから、ケアという言葉が広がってくることはとてもうれしいことでした。

ところが最近はあまりに耳にするので、天邪鬼の私にはだんだん耳障りになってきました。
しかも「こころのケア」。
私にはよくわからない言葉になってきてしまったのです。
さらに最近は「心の専門家」とかいう職業まであるようで、私の理解を超えだしています。
ケアの専門職というのもいるのかもしれません。
そうなるとたぶんケア産業というのが生まれているのでしょう。
なにしろ「ホスピタリティ産業」というのもあるのですから。

私が一番気になるのは、ケアが行為概念や医療概念に捉えられているように感ずることです。
何やら最近の精神医療の流行というか、市場化というか、そんな流れの延長を感じてしまいます。
なんでも産業化され、市場化され、金銭化される時代になってしまいました。

私は妻を亡くした時に、大きな喪失体験をしました。
たぶん精神的におかしい時期が数年ありました。
しかし周りの人たちが日常的に支えてくれました。
心の専門家による「こころのケア」を受けずにすんでよかったです。

それにしても、軽々しく「こころのケア」などと口に出し、専門家に任せてしまう風潮が、何やらとても悲しいです。
周りの人が気遣えばいいだけの話でしょう。
なんでそこに専門家が入ってくるのか、私ならたぶん蹴飛ばしたくなるでしょう。

そういえば「傾聴ボランティア」というのもあります。
傾聴を仕事(金銭をもらわなくても)にしていいものかどうか。
私にはとてもそんなことはできません。
もちろん他者の話にはしっかり耳を傾けることは大事なことであり、私もそう心がけてはいますが。
「傾聴ボランティア」などという言葉を使う人の感性が、私には理解できません。

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2014/10/16

■節子への挽歌2602:へとへとの1日

節子
昨日はいろんな人と会いました。
そのうえ、久しぶりに夜の飲み会にまで最後まで付き合い、帰宅が零時を過ぎてしまいました。
節子がいなくなってから、夜は極力、早く帰宅するようになりました。
別に理由があるわけではないのですが、気持ち的にそうなっているのです。
しかし考えてみるととても不思議で、節子がいればこそ早く帰宅したくなり、いなければ帰宅が遅くてもいいのではないかと考えるのが理にかなっているのですが、反対なのです。
節子がいなくなって直後からずっとそうです。

ところで、昨日お会いしたお一人は、久しぶりの人です。
前にも書いたような気がしますが、福岡で活躍されている権藤説子さんです。
東京に来ていたので、お互いの時間の合間を見て、お会いしました。
権藤さんは、私が会社を辞める少し前に福岡で起業したのですが、私が湯島でオフィスを開いてすぐに湯島に来てくださったのです。
もしかしたら、節子とも会っているかもしれません。
権藤さんが、だれの紹介で湯島に来たのか、全く思い出せませんが、
その時は、まだ会社経営に関して、いろいろと悩んでいた時期だったそうです。
そして、私がその時に話した言葉を今も覚えていてくれました。

しばらくして、私が福岡に行った時に、権藤さんのオフィスを訪問しました。
スタッフの方ともお会いしました。
その時の私との会話も、権藤さんは覚えていてくれて、私に教えてくれました。
最初に会った時の私の言葉も、訪問時の私の言葉も、今の私と全く同じような発言でした。
権藤さんは、その、たぶん失礼な私の言葉を素直に受け止めてくださったようです。

いまは、権藤さんのオフィスも30人ほどの大きなオフィスになっているそうです。
私がお伺いした時にお会いした原さんという方も、まだオフィスにいて、私のことを覚えてくれているそうです。

権藤さんとお会いしたころの私は、新しい生き方を目指していました。
仕事観も経営観も、ほぼ180度変えてしまいました。
当時はそれなりに会社時代の私の活動を知ってくださっている方もいて(今は大企業になっている創業者の方からもスカウトされたこともあるのです)、会社からの仕事も頼まれたりしていましたが、なにしろ仕事観も経営観も変えてしまっていたので、たぶんなかなか会社の人たちにはわかってもらえなかったように思います。
しかし、権藤さんのように、私の言葉を覚えていてくださっている方もいることを知って、とてもうれしです。
何よりもうれしいのは、権藤さんの会社はとてもあったかな会社のようです。
会社も、社会も、あったかくなければ意味がありません。

勤めている会社に違和感を持ち、休職してしまった方も来ました。
いつもお菓子を持ってきてくれる人なので、お昼でもご馳走しようと思ったのですが、逆に私の方がご馳走になってしまいました。
この人も、私の言葉を、それが何か走りませんが、きっと覚えてくれているのです。

その間にやってきたのがミュージシャンです。
3年ほど前にドラッカーの本に出会い、感動し、経営に目覚めてしまったのだそうです。
いまでは、ドラッカーを材料にしたマネジメント講座をやっているそうで、その報告に来てくれたのです。
実に情熱的な人ですが、節子はこの人には会っていません。
ミュージシャンらしい、経営の捉え方に感心しました。

夜は大企業の経営幹部のみなさんとのサロンと懇親会でした。
ここにも突然の参加者があり、ちょっと話し合いにも広がりが出ました。
ただ気が付いてみたら11時になっていたので、帰宅したらもう暦が変わっていて、へとへとになりました。

考えてみると、節子が元気だったころは、毎日がこんな感じでした。
よくまあ、こんなハードな毎日を連日続けられていたものです。
改めて、節子のおかげだったことに気づかされました。

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2014/10/15

■節子への挽歌2601:奇跡を起こすのは愛

節子
今日はイエス・キリストの話です。

イエス・キリストが起こした奇跡物語はたくさんあります。
目の見えない人を見えるようにしたとか、歩けない人が歩けるようになったとか、いろいろとあります。
これは後世の人が脚色した話だという人もいますが、イエスの時代の人はだれも否定していないそうです。
魔術かもしれないと批判する人はいましたが、そうしたことが起こったということに関して否定している記録はないそうです。
レザー・アスランの「イエス・キリストは実在したのか?」で改めて知ったことですが。

韓国で認知症予防ゲームに取り組んでいる佐々木典子さんのお話によれば、そのゲームの楽しさにつられて、車いすの人が一人で歩きだしたということがあったそうです。
私は、そうした話は特に「奇跡」とはとらえずに、生命現象の一つだという捉え方をしています。
ですから、私には「超能力」とか「超常現象」という言葉そのものにも違和感があります。
人間の能力はフルに発揮されているわけではないのですから、現代の科学で理解できないことが起こるのは当然のことなのです。
科学で理解できない現象を「超能力」とか「超常現象」と呼ぶこと自体が、私には違和感があるのです。
その背後には、科学万能発想があり、どう考えても傲慢であり、無知そのものでしかありません。
死んだ白雪姫が王子の愛を込めたキスで生き返るということは、私にはきわめて理解できる話です。
いま考えると、なぜ私はそんな簡単なことさえしなかったのかと後悔しています。

イエスの時代には、目の見えない人が見えるようになり、死んだ人が生き返ることが信じられていたのかもしれません。
科学の世界は、生命や愛の世界のほんの一部しか解明していないでしょう。
世界は、科学者が見ているよりもずっと広くて深いのです。
だからこそ、未知を解明する科学が存在できるのですから。

節子の病状が反転し、奇跡が起こったと思った、まさにその日の夜、節子は旅立ちました。
私に、ナザレのイエスほどの熱情と信念があったら、と「イエス・キリストは実在したのか?」を読んで、改めてまたそう思いました。
いや、私になかったのは、誠実さと愛だったのかもしれません。
彼岸で節子に会ったら、叱られるかもしれません。

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■薬用植物事典「デューク グリーンファーマシイ」

私の書棚には「デューク グリーンファーマシイ」(翻訳書)という本があります。
20年以上前に、知人の星合和夫さんが翻訳された本です。
当時はお気に入りの本で、妻の病気の時にもよく読みました。
最近も、何かあるとひっぱり出してきて読むのですが、消化できずにいます。
欧米ではミリオンセラーになっている薬用植物の事典です。
この日本版が、もう少し実践的な内容でつくられないものかと思っています。

Duke

妻の看病時、様々な民間療法も試みました。
いまから思えば、中途半端でしたが、その時学んだことをきちんと記録しておけばよかったと思いますが、妻が亡くなったとたんに、逆に忘れたくなりました。
娘たちは、たぶんそうした民間療法への信頼感はないでしょう。
民間療法は生活の中から生まれてきたものであり、生活と深くつながっています。
その療法だけを取り出しても、効果は上がらないのかもしれません。

東洋医学には「未病」という概念もありますが、病気もまた「健全な生活の一部」だと考えるのがいいのかもしれません。
「医食同源」が示唆しているのも、そういうことなのでしょう。
つまり、病気とは日頃の生活のあり方を問い質すための時間なのかもしれません。
そうであれば、治療とは生活を正すことになります。
その発想が生活習慣病のような話になってしまうと、逆に「医療化」に向かってしまいます。
どこに間違いがあるのか。
たぶん個人視点で考えるか全体視点で考えるかの違いがあるのでしょう。
考えているうちに、病気の捉え方が、だんだんわからなくなってきました。
もう少しきちんと考えないと、間違った結論にたどり着きそうです。

「つくられる病」の著者の井上芳保さんに共感したので、ほかの著書も読み出しました。
「健康不安と過剰医療の時代」(長崎出版)のはしがきで、井上さんは「医療っていいものでしょ」という私たちの「常識」を問題にしています。
73年も生きていると、そうした「常識」から抜けたつもりでも、なかなか抜けられません。

それはそれとして、日本版薬用植物事典をどなたか作ってくれませんか。


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2014/10/14

■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り

節子
幸いにわが家では台風の被害はありませんでした。
台風一過の翌日は気分がいいものです。
今日はちょっと元気な1日でした。

今日は茨城の新米が送られてきました。
くわえて、敦賀から野菜がどっさり届きました。
ありがたいことです。
こうしてなんとか私の暮らしが成り立っています。
だから誰かの役に立つように、「恩送り」をしたくなるわけです。
といっても、私ができることは本当に少ないのです。

幸いに、インドネシアで仕事をしているマレイシアのチョンさんから、今日、相談のメールが来ました。
ちょっと私には分野違いの話ですが、何かできることはないかを考えて、ささやかなアクションを起こしました。
人はこうやって、つながり、支えあいながら、生きているのでしょうか。

実は今日こそ1か月以上、先延ばしにしている約束の仕事をするつもりだったのですが、あまりに気分が良かったので、また先延ばししてしまいました。
約束した人たちに合わせる顔がありません。
恩送りをしている一方で、どうも「迷惑送り」もしているようです。
困ったものです。

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■心身を治癒する知恵と制度化された医療

4日前に「健全な老化」について書いた時に予告しておいた、「制度化された医療」と「生活のなかでの治癒」について少しずつ書いてみます。
前にも書いたように、井上芳保さんの「つくられる病」を読んで思ったことです。
井上さんも、その本の中で書いていますが、心身に異常が発生した時、生活を変えることで対処してきたのが、数十年前までの医療でした。

普通の生活の中で自分を治癒する知恵。
風邪かなと思ったら、あったかな飲み物で身体を温めて早く寝る、とか、気分がめげたら気のおけない友だちと会う、とか、疲れたら栄養剤など飲まずにゆっくり入浴して十分の睡眠をとる、などです。

ところが、そうした知恵に代わって、「制度化された医療が生活を覆い尽くすようになっている」と井上さんは指摘しています。「薬漬けにしていく動きに、実は私たち自身もまた加担している」というのです。

まさにその通りで、私自身も、そうした動きに加担していることは間違いありません。
それは、心身の不具合は医療の「専門家に任せよう」という、近代共通の発想です。
不具合は治すものではなく、治してもらうものになってしまっています。
私も、薬は嫌いと言いながら、病院に行って薬をもらえないとちょっと物足りない気がします。
風邪薬はわが家の常備薬になっていますし、栄養剤やサプリメントも飲んでいます。

8月にのどの調子が悪くなりました。
フェイスブックでどうしたらいいか、投げかけました。
いろんな人がアドバイスしてくれましたが、市販の薬を勧めてきてくれた人もいますが、いわゆる民間療法のアドバイスが半分以上でした。
いずれも試してみましたが、いずれもたぶん効果がありました。

心身に異常が生ずるということは、環境との関係性において、心身がついていけなくなったということでしょう。
心身の異常は、心身がSOSを出しているのだとよく言われますが、その解決策は2つあります。
ひとつは、心身を補強すること。
もう一つは、環境に追いつくように心身の回復を待つことです。
前者は、時間を時計に合わせることであり、後者は時間を心身に合わせることでもあります。
治療せずに、治癒を待つと言ってもいいかもしれません。

そういう生き方を目指そうと、改めて思い出しています。
ちょっと遅すぎたのですが。

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2014/10/13

■私たちが不安に思うべきことは何か

近代の根底にあるのは「不安」だと言われています。
そうした「不安」を解消するためのエネルギーが近代化を推進してきました。
皮肉なのは、「不安」が解消されれば、近代化のダイナミズムが失われるということです。
そこで、巧みに「不安」を増殖させる仕組みが構築されました。
近代産業のジレンマに関しては、何回も書いていますが、そうした仕組みは産業に限った話ではありません。
自らの存在を守るためには、不安を解消させるだけではなく、さらなる不安を生み出さなければいけません。
そうして、イリイチが「医原病」と名付けたように、病院や医療者は病気を創り出すわけです。
そして、薬が大きな市場を形成し、経済成長が実現します。
こんな簡単な構造さえ見えなくなっているのは、これまた「不安」のおかげです。
次々と襲いかかってくる不安の罠に、みんな目先しか考えられなくなります。
しかも、不条理な統治を可能にするのもまた、「不安」です。

福島原発事故から起こった動きは、そのことを教えてくれます。
目先の雇用がなくなるから、停電で生活が不便になるから、などといった、不安の罠に囚われて、思考力を失ってしまうわけです。
不安の中で同じ被災者や被害者が溝を作って対立してしまう。
まさに「不安」が生み出す悲劇です。

これも何回も書きましたが、貨幣経済の呪縛から抜け出せば、この豊かな日本ではさまざまな生き方ができます。
もし多くの人がそれに気づけば、今の産業社会やマネー資本主義は瓦解するかもしれません。
それがまた「不安」にもなるかもしれませんが、そんな貨幣経済社会はたかだか最近100年ほどの特殊な社会でしかありません。
私たちはもっと歴史を学ばねばいけません。
この150年が、いかに特殊な時代なのかに気づけば、もっと生き方は自由になるでしょう。

しかし、そうはさせじと、不安のシャワーは強まる一方です。
今回の台風の報道を見ていて、そう感じます。
私にとって恐ろしいのは台風の雨風ではなく、台風報道による洗脳の嵐です。
もちろん台風報道だけではありません。
不安を高じさせる報道の多さには、驚くものがあります。
しかし、その一方で、しっかりと不安に思うことに関する報道はどんどん少なくなってきています。
目をそらされているのかもしれません。

岩波新書の最新刊「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」を読みました。
毎日新聞の記者の日野行介さんの丁寧な取材による報告です。
私たちが不安に思うべきことは何か、的確に示唆してくれています。
目先の不安に踊らされないためにも、歴史と現実には関心を払っていきたいと思います。

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■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味

昨日、文章を引用させてもらった井上芳保さんの「つくられる病」の中に出てきた文章をもう一つ紹介します。

2003年に施行された「健康増進法」という法律の第2条には「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とある。
「国民の責務」として健康が規定されていることになる。
何かおかしくはないか。
健康は人間としてよりよく生きるための権利のはずなのだが、そうではなく義務とされているのだ。
こうした流れに、井上さんは異議を申し立て、こう語っています。
老いることや死んでいくことの意味を、あるいはそもそも人間が生きるとはどのようなことなのかを、我々は近代主義から自由になって再考してみるべきであろう。
心から共感します。
昨今の医療のあり方には、大きな違和感があります。
そう思いだしたのは、節子と一緒に病院に通ったことが大きく影響しています。
病院には近寄らないという友人がいますが、私にはそれほどの自信がなく、しかも自分自身のことではなかったこともあって、中途半端な付き合いをしてしまったことを、今は悔いています。
病院にどう接するかは、その人の生きる哲学に深く根ざしています。
いまから思えば、私は中途半端でした。
念のために言えば、病院にかかったことを悔いているのでも、病院を否定しているのでもありません。
私自身の生きる哲学のことを言っているのです。

しかし、節子と死別し、この挽歌を書き続けている中で、私自身、老いることや死んでいくことの意味をそれとなく考えるようになってきました。
そして、それが少しわかってきたような気がします。
一言で言えば、老いることや死んでいくことがあればこそ、いまこの時の意味があるということです。
同時に、老いることも死ぬことも、それ自体に意味がある。
それは人生における重要なプロセスだからです。
そして、周囲の人たちとの関係性を変えてくれることも人生に刺激を与えてくれます。

それにしても、なんで生命は発生したのでしょうか。
考えていくと、そこにまで行ってしまいます。

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2014/10/12

■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」

節子
最近読んだ「つくられる病」の本にこんな文章がありました。

生きている限り、私たちは何らかの苦悩に直面する。
苦悩のない状態とは死んだ状態である。
同感です。
ただし「苦悩」の質や大きさにもよるのですが。

この言葉の裏を返せば、節子には苦悩がないということになえるでしょうか。
時々、節子の位牌に手を合わせながら、節子は苦労がなくていいね、と声をかけます。
節子が現世の苦悩から解放されていることは、せめてもの救いです。

山林に入って自然のなかで生きていれば、たぶん苦悩から解放されるかもしれませんが、人の中で過ごしているとどうしても苦労や悩みは発生します。
そこから逃げようとして「ひきこもり」が始まるのかもしれません。
最近ようやくその気持ちがわかってきました。
あまりにも遅い気付きですが、気づけたことを良しとしましょう。
最近、私も引きこもりたくなることがあります。
事実、その思いに引きずられて、在宅することが増えています。

平安に暮らすためには、自宅に引きこもるのが一番です。
自宅で畑作業をし、読書し、時に世界を見る。
そんな生活はおそらく平安で豊かな生活でしょう。
幸いにして、私の場合、そうしようと思えば、できないわけではありません。
なんとか自活できる生き方を身に着けてきていますので。
しかし、そういう生活になぜか移ろうとは思いません。
余計なお世話をしながら、余計な苦悩を引きずり込んでいるわけです。
3日も自宅にいて、静かに暮らしていると、これでいいのかという声がどこかから聞こえてきます。
それで自分から用事を創り出し、湯島に出かけていくわけです。
この生き方は、たぶん最後まで変わらないでしょう。
人にはそれぞれ生き方が決められているのです。
それに抗うことはできません。

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2014/10/11

■節子への挽歌2597:不老不死

節子
何やら元気になったはずなのですが、昨夜から体調がいささかおかしくなりました。
時評編で「健全な老化」賛美論を書いた途端に、このていたらくです。
どこというわけでもないのですが、胎に力が入らないのです。
老化するといろいろとありますが、どうも無理ができないのと心身がいささかバランスしていないのが困ったものです。
しかし、今日は午前中の約束もあり、午後からは湯島の集まりもあるので、湯島に行きました。

今朝、電車の中で読んできた本に映画「TIME/タイム」のことが言及されていました。
不老不死が実現した未来の社会の話です。
と言っても、実に暗い話です。
私も以前観ましたが、記憶に残っているのはスラム街の陰鬱さだけです。
すっかり忘れていた映画です。
不老不死が実現したということは、裏を返せば、生死が管理できるようになったということです。
管理された人生を生きるということは、どういう感じでしょうか。
その種の話はオーウェルの「1984年」をはじめ、いくつかありますが、不老不死が実現しても、あまり関係ないのでしょうか。
実は、全く違うはずなのですが、たぶん「TIME/タイム」の原作者には想像できなかったのでしょう。

いずれにしろ、死を管理された人生は、たぶん「生きている」という気はしないでしょう。
生きている喜びは、もしかしたら死があるからかもしれません。
こう言えるようになったのも、やはり節子がいなくなってから8年たったからかもしれません。

節子がいたころには、私も不老不死にあこがれました。
しかし、今は違います。
不老不死は人生を退屈にすることはあっても、豊かにはしないだろうなと思います。
だから健全に老いていき、気がついたら鬼籍にはいっているというのは、やはり生きる魅力なのだろうと思います。
しかし、鬼籍に入っていたことに気づいた時の気分ってどんな感じでしょう。
想像しただけでも楽しくなりますね。
節子はどうだったでしょうか。

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2014/10/10

■健全な老化と正常病

私の生き方は、かなり社会や時代から脱落しているのですが、時々、本などを読んでいると元気づけられるこがあります。
以前紹介した宇根豊さんの「農本主義は未来を耕す」を読んだ時には、私の生き方は脱落ではなく、未来の主流ではないかとさえ思ったほどです。
今朝から井上芳保さんの「つくられる病」を読み出したら、私の生き方もまんざらではないとうれしくなりました。

私がよく使う言葉に、「健全に老化している」というのがあります。
私はお医者さんに行くのがあまり好きではありません。
そういうと、周りの人は「怖いのか?」などとわけのわからないことを私に言うのですが、怖いわけがないでしょう。
あえて言えば、「病気になりたくないから」ですが、これもまた誤解されかねません。
めまいで一週間寝てしまったり、2か月も声が出にくかったり、胃腸の調子がおかしかったりした時には、周りの圧力もあって、病院に行くことはありますが、そこでの医師の処方は、ほぼすべて、「健全な老化です」というように受け止めています。
MRIで脳に梗塞部分が確認された時も、声が出にくくなった時も、医師はたぶんそれと同じような処方をしてくれたのだと理解しています。
一応、薬はくれましたし、私もある程度飲みましたが、要は「健全な老化」なのです。
健全な老化への処方は、健全に素直に生きるということです。
そのための「知恵」は、古来、たくさん伝承されています。

ところで、「作られる病」には、こんなことが書かれています。

「正常病」とは、端的に言えば「正常のために病気になっている状態」のこと、つまり「自分は「正常」であらねばならない」との強い思いに取り憑かれてしまうがために、かえって調子がおかしくなるような一種の病理的な状態を指している。
老化した人間が、どこかに不具合が生じないこと自体が、正常ではないというのが私の考えなのですが、まさにわが意を得たりです。

本書にはまた、健康増進法への疑義が提起されています。
全く同感です。この法律の恐ろしさは、前に書いたかもしれません。

本書で一番私が感動したのは、「そんなに「健康」になって、いったいどうするの」という言葉でした。
まだ読みだしたところなので、その先が楽しみです。
今日はあまり時間がないので、読み終わるのは明日になりそうですが、多くの人に読んでほしい本です。

読み終えたら、また「制度化された医療」と「生活のなかでの治癒」について、書いてみようと思います。
また、この本に書かれている「正常病」状況は、私がささやかに取り組んでいる自殺の問題や認知症の問題、障害児の問題や企業経営の問題につながっているのだろうと思います。

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2014/10/09

■節子への挽歌2596:喜びを分かち合える人の大切さ

節子
湯島のオフィスに一匹だけ残っていた水槽の白メダカが死んでしまいました。
元気だったので安心していたのですが。
これでメダカは全滅してしまいました。
しばらく湯島に来るのをさぼっていたため、水温が上昇したためかもしれません。
黒メダカ、ヒメダカ、白メダカといろいろ湯島で飼ってみたのですが、うまくいきませんでした。
節子が来ていたころは、メダカもずっと長生きだったのです。

水槽は、貝とエビだけになってしまいました。
エビは3匹だけだったのですが、今はたくさんになっています。
エビがメダカに勝ったのかもしれません。

しかし、もしかしたら白メダカは一匹だけだったのでさびしくて生きるのを止めたのかもしれません。
仲間がいるといないとでは、世界が違うでしょうから。

昨日の挽歌で、執事スティーブンスのことを書きました。
彼は主人であるダーリントン卿のために人生をささげてきて、一流の執事と自他ともに認められる存在になりました。
目指していた目的が達成されたのです。
ところが、そこから人生が変わりだします。
次なる目的が見いだせなかったからでしょうか。
そうではないでしょう。
さらなる高みを目指すことはできたはずです。
では、何か。
それは目的を達成した喜びを分かち合える人がいなかったことに気づいたからだろうと思います。
だからミス・ケントンに会いに行ったのでしょう。

話は飛びますが、なぜアレキサンダー大王は身を崩し、若くして病死したか。
あれだけの偉業を達成しながら、やはり達成を分かち合う人がいなかったからだろうというのが、私の昔からの考えです。

今回のノーベル賞受賞者の報道を見ていて、分かち合う人がいることをとてもうれしく思います。
喜びや悲しみを分かち合う人の存在が、どれほど大きな意味を持っているか。
改めてそれを強く思います。

メダカの話がなにやら大きな話に飛躍してしまいました。
水槽で跳ね回るエビを見ていると、思いも跳ね回ってしまいます。

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2014/10/08

■節子への挽歌2595:決定的瞬間

節子
以前、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」について、何回か書いたことがありますが(時評編が中心でしたが)、彼の作品に「日の名残り」という、これもまたとても哀しい小説があります。
主人公は英国人の執事スティーブンスです。
執事という職業は、現代の日本人にはなじみのうすい職業ですが、著者が主人公に執事を選んだ理由は「我々は皆、執事のようなものだ」からだそうです。

執事に限りませんが、私たちは生きている以上、決断を迫られる場合があります。
そうしたなかには、その決断が自らの人生を決めることになる「決定的瞬間」というものがあります。
それがどの段階でやってくるのかはわかりませんが、後で振り返ると、あの時がそうだったと思うことがあります。
「日の名残り」は、そのことをテーマにしています。

スティーブンスは、最高の執事を目指しています。
そのために、尊敬する父親の死に目にも会えませんでした。
執事にとっての大事な仕事と重なったためでした。
父を見守るか、直面している重要な仕事を続けるか。
彼は仕事を選びました。
その時、彼は「今が決定的瞬間」だと思ったかもしれません。
事実、それによって、彼は執事としての高い評価を得ることができました。
執事だった父親は、息子を誇りに思って旅立ったかもしれません。

しかし、スティーブンスにとっての「決定的瞬間」は、ほかにもあったのです。

彼が執事をしていた家の家政婦ミス・ケントンは、彼に想いを寄せていたのですが、彼もまた彼女に好意を感じていました。しかし、偉大な執事が恋愛感情をもつなど、彼には言語道断でした。
ある日、スティーブンスは、彼女の部屋の前で彼女のすすり泣く声に気づきます。
彼女の叔母が亡くなった知らせが届いたのです。
スティーブンスは、部屋に入り彼女を慰めることもできたのですが、「個人的な苦悩にむやみに干渉する」ことを潔しとせずに、通り過ぎます。
その後、しばらくして、ミス・ケントンは家政婦を辞め、好きでもない男性と結婚しました。

彼はこの出来事のことなどすっかり忘れていました。
ところが、それから20年経ったある日、彼は、あのミス・ケントンの部屋を通り過ぎた時こそが、決定的瞬間だったと気づくのです。
それに気づいたスティーブンスは、夫と別居していたミス・ケントンを訪ねます。
ちょっと期待した人には残念なのですが、哀しい結果で、小説は終わります。

私の人生にとっての決定的瞬間はいつだったのだろうか。
時々そう思うことがあります。
実のところ、今のような人生になることは、思ってもいませんでした。
たぶん節子もそうだったでしょう。
人生とは実にわからないものです。

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2014/10/07

■節子への挽歌2594:佐々木夫妻との懐かしい写真

節子
懐かしい写真が届きました。
2006年に、佐々木夫妻がわが家に来てくださった時に、庭で4人で撮った写真です。
佐々木さんが撮った写真をスキャナーで読みこんで送ってくださったのです。
佐々木さんたちはとてもお元気そうです。
後ろに「手づくり散歩市」の旗が立っていますので、10月です。
節子の再発が明らかになった直後です。
佐々木さんたちに了解を得ていないので、写真は小さく掲載しておきます。
私も、久しぶりに笑顔の節子に会えた気分です。

Photo_4

佐々木さんたちからは、いろいろと気遣っていただきました。
佐々木典子さんと、その後、いろいろと活動面でご一緒することがあるとは、その時には思ってもいませんでした。
節子がいなくなって、引きこもっていた私を韓国まで呼び寄せて、元気づけてくれたのも佐々木夫妻です。
節子がいなくなってからの初めての海外旅行でした。
お2人には大変お世話になりながら、正直に言えば、上の空の韓国旅行だったのですが。

節子はこのころから病状が悪化していきました。
この写真を見て、もうこんなに痩せていたのかと改めて驚きました。
いまはまた彼岸で、昔のように丸々しているでしょうか。
写真を送ってくれた佐々木さんに感謝します。

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2014/10/06

■自宅で暮らせなくなった人たちのセーフティネットづくりをテーマにしたサロンのお誘い

最近、地域包括ケアが話題になってきていますが、「自宅で暮らせなくなった人たちのセーフティネット」をテーマにしたい話し合いの会を開催します。
抽象的にではなく、実践者の思いを聞きながらの話し合いです。
話題提供者は、超高齢社会に向かいつつある状況の中で、民間のセーフティネットを広げていこうという強い思いで、今年、千葉市で株式会社ミューマを起業した村山眞弓さんです。
ミューマの社名には「私とあなたで奇跡をおこす」(Me you marvelous)という思いが込められています。
村山さんがとりわけ関心を持っているのが、「自宅で暮らせなくなった方たちのセーフティネット」です。
村山さんは、まずは自分のところ(千葉市)でモデルを確立し、その体験を踏まえて、思いのある人たちと一緒に全国に広げていきたいと考えています。
私も何回かお話はお聞きしていますが、もっと多くの人に聞いてもらい、村山さんの構想をいろんな視点から練り上げていくとともに、幅広い緩やかなネットワークを育てていくことが必要ではないかと思い、村山さんの構想をお聞きするサロンを開催することにいたしました。
当日は、村山さんから30分ほどお話していただき、後は参加者との話し合いというスタイルになります。
また広い意味では同じような構想をお持ちの方やすでに活動に取り組まれている方も多いと思いますが、ぜひともそうした方たちの実践事例もお話しいただければと思います。
民間のセーフティネットは、様々な活動が緩やかにつながっていくことが大切です。
ぜひ多くのみなさんの参加をお願いいたします。
もちろん自分では何もやっていないけれど、そうした問題に関心のある方も大歓迎です。
私もその一人ですので。
よかったら気楽にご参加ください。

○日時:2014年10月18日(土曜日)午後1時半~3時半
○場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○話題提供者:村山眞弓(株式会社ミューマ代表)
○会費:500円
○申込先:コムケアセンター佐藤修(comcare@nifty.com

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■節子への挽歌2593:「私は生きていていいんでしょうか」

節子
悲しい事件が起こりました。とても悲しい事件が。
今年の7月に起こった佐世保市の高校同級生殺害事件の加害者の父親が自殺したのです。
弁護士の話によれば、父親は事件後、「私は生きていていいんでしょうか」と落ち込むことが多かったそうです。
考えようによっては、この事件は、被害者ばかりで加害者のいない事件です。
そういう被害者だけの事件が、最近多すぎます。
社会の実相を象徴しているようです。
それを助長しているのが、マスコミかもしれません。

時評編ではなく、挽歌編で、このことを書き出したのは、この父親が残した言葉が心に深く残ったからです。
「私は生きていていいんでしょうか」。
こういう思いに出会った人は決して少なくないでしょう。
そして、この人も、誠実に生きていたのでしょう。
同じ状況にあれば、私も同じ問いかけをし、同じ行動をしないとは言い切れません。
だから、心に深く残ったのです。

しかし、私はこの問いにこそ、問題があるように思います。
誠実に生きるのであれば、「私は生きていていなくてはいけないのでしょうか」と問うべきではないかと思います。
問いかけが間違ってしまっている。
もちろん、この父親の行為を非難するつもりは全くありません。
ただ、この人が、問いかけをこう変えていたら、結果は変わっていたのではないかと思うのです。
結果が変わったら、何かが好転するかどうかはわかりません。
私が悲しまなくてすんだだけかもしれません。
でも、できればこう問うてほしかった。
誠実に生きていただろうこの人は、この問いであれば、生きていなければいけないと思ったかもしれない。

人は、生きていなくてはいけないのです。
せっかくの「生」をいただいたのですから。
生は思い切り大切にしなければいけません。
たとえ、生きていることをすべての人から非難されようと、生きていていいし、生きていなければいけないのです。
だから生きることは辛くても価値のあることなのです。
「生き切れなかった」節子から教えてもらったことのひとつです。

自殺した父親も、たぶんそれをわかっていたはずです。
誰かが「問」を変えてやればよかったのです。
だから、私にはとても悲しい事件なのです。

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■節子への挽歌2592:重荷をシェアするということ

節子
台風が関東を直撃しそうで、近くでもいろんな動きがあります。
我孫子市でも避難所が設置されました。
わが家は手賀沼のまわりの崖の真ん中なので、上から崩れてくるか、下に崩れるか、いずれの可能性もありますので、ほどほどの緊張感はあります。
風の道にあたっているので、強い南風が来るといささか心配でもあります。
強風の恐ろしさはこれまでも体験しています。

今日は幸いに約束がないので、自宅でのんびりしようと思います。
昨日は少しばたばたしていて、挽歌も書けていませんし、ホームページの更新もできていません。
最近は、いささか重荷を背負いすぎて、へとへとですので、今日はそれらを脇に置いて、思い出さないようにしましょう。
思い出すと、どうしても心身が動いてしまいます。

節子がいなくなってから、一番大変なのは、精神的に重荷をすべて一人で背負い込むことになったことです。
相談者の重荷もありますが、私自身の重荷もあります。
娘たちや友人知人にシェアしてもらえる重荷もありますが、精神的にシェアしてもらうことはなかなか難しいのです。
夫婦がシェアしあうのと、家族がシェアしあうのと、仲間でシェアしあうのとは、何かがどうも違っているようです。
実際のところ、背負い込んだ重荷を節子がシェアしてくれても重荷が軽くなるとは限りません。
ただ重荷を背負う元気が出てきただけです。
重荷を背負っていること知ってもらっているだけでも元気が出ます。
ということは、重荷をシェアするのは2種類あるということかもしれません。
重荷を分かち合うシェアと重荷を背負うエネルギーを支えてくれるシェアです。

節子がいなくなってから、何がなくなっていたのか、少しわかった気がします。
重荷を背負うエネルギーを補給してもらえなくなっているのです。

書き出しとは全く違うことを書いてしまいました。
実は、挽歌を書いていると、いろんな気づきがあります。
気づいたから書いたというものもありますが、ともかくパソコンに何かを書き出すと気づきをもらえることもあるのです。
この挽歌は、そういう意味では節子にシェアしてもらうための仕組みであり、だからこそ続いているのかもしれません。

雨が激しくなってきました。
南風のせいで、外気の温度が高まっているようで、部屋の窓が曇って、外があまり見えなくなってきました。
これから何が起こるのか、何やら不気味でもあり、楽しみでもあります。

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2014/10/04

■ある一点

昨日、ある人からスプーン曲げの方法を教わりました。
彼は超能力などないんですよ、というのですが、私は超能力や超常現象を確信しています。
というよりも、人間の理解できる範囲など小さなものだと考えていますので、正確には「超」ではなく、まだ説明できないことがあると考えているだけですが。

ところで、昨日教えてもらったスプーン曲げの方法は、極めて論理的な方法ですポイントは「ある一点」に注目することです。

Facebookにも書いたのですが、「ある一点」に注目するということは、スプーンを曲げるためだけに大切なことではありません。
実は昨日から箱根で、いろんな企業の人たちと、「企業は今のままでいいのか」をテーマにした合宿をしていますが、まさに企業を変えるためにも、社会を変えるためにも、それを可能にする「ある一点」を見つけ出すことが出発点です。
ところが、その一点がなかなか見つけられないのです。

伝授されたスプーン曲げのもう一つのポイントは、力を入れる方向です。
これも、多くの場合、間違っているのかもしれません。

超能力などなくてもできることはいろいろあるようです。

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■節子への挽歌2591:常識に無知だったのかもしれない

節子
今朝の箱根はあまり天気がよくありません。
今日は、午後まで合宿に付き合います。
一応、話し合いのアドバイザー役ですが、いない方が良いこともあるのですが、
今回はなんとなく最後まで付き合った方がいいと思っています。
いた方がいいかどうかは、それなりにわかるものです。

自分の行動は自分の判断と責任で決めるのが、会社を辞めた時に決めたルールです。
昨今のビジネス環境やビジネス界の常識には合わないかもしれません。
しかし、フリーで仕事をするのであれば、組織や制度や世間常識の呪縛からは自由でなければ意味がありません。

ところで、世間常識の呪縛から自らを解き放すことと世間の常識に無知であることとは違います。
もしかしたら、私の生き方は前者ではなく後者だったのかもしれません。
最近、娘からそう指摘されているのですが、反論できずにいます。
もしそうであれば、常識人の節子には戸惑いの多いことだったでしょう。
もっとも、節子もまた常識に無知だったことは十分あり得ます。
困ったものです。

ホテルの窓から箱根の緑を見ていると、いろいろと思いが広がります。

さて時間になりました。
話し合いの場に行くことにします。
今日は少しおとなしくしていようと思いますが、さてどうなりますか。

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■編集された情報で世界は構成されています

また、イスラム国による人質殺害がネットに流れました。
次回も予告されたようです。
これをどう受け止めるかは、そう簡単には考えられません。
もちろん私は反対ですし、ひどい話だと思います。
殺害される人たちの多くが、そこの住民たちの支援活動に関わっているとテレビでは報道していますが、もしそれが事実であれば、ますます腹立たしく思います。

ただ、私としては、だからと言って一方的にイスラム国だけを非難することに躊躇します。
なぜこうしたことが起こるのか。
そして、報道されていないことはないのか。
そこを考えないと見えてこないものがある。

これはほんの一例ですが、私たちの世界認識は身近な現実以外は報道情報によって構成されています。
その情報の真偽は確かめようもありません。

今から70年ほど前の太平洋戦争時、日本人の多くは戦勝報道に酔っていました。
しかし、その後、それは虚報だったことがわかりました。
そして多くの日本人は態度も価値観も一変させたのです。
そのことを、私は忘れたくはありません。
私たちは、そうでありたいという情報には比較的無批判に受け止めます。
情報の送り手は、信じさせたい情報を中心に、さまざま情報から送り出す世界を構成します。
編集によってまったく違った世界を構成することができます。
ベトナム戦争報道時に行われたように、無関係な画像をはめ込むことさえできます。
つまり、私たちが認識している世界は編集されているということです。
その編集者を、信頼できるかどうか。

残念ながら、日本のジャーナリストも報道機関も、70年前に戻ってしまったような気がします。
昨日書いたように、嘘さえも嘘と言えないことに、それが明らかに示されている気がします。
小さな嘘は暴かれ出していますが、誰かが言ったように、大きな嘘に気づく人は少ないのでしょうか。

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2014/10/03

■裸の王様

今日は短いです。
最近の安倍首相の報道を見ていて感ずるのは「裸の王様」の話です。
報道関係者やテレビの解説者はみんななんで「王様は裸だ!」と叫ばないでしょうか。
じぶんも「裸」なのを知っているからでしょうか。

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■節子への挽歌2590:節子の陰謀

節子
また箱根に来ています。
と言っても、恒例のホテルでの合宿です。
今回はほぼフルコミットですが、どうしても話しすぎで、また喉の調子がよくなくなりました。
要するに、老化により発声機能が弱まったのかもしれません。
先週ももう一度病院に行こうかと迷ったのですが、工藤医師にどう説明していいか整理できず、躊躇している次第です。
まあ老化と考えるのが理にかなっていますし、何よりも面倒臭くなくていいでしょう。
医療費の無駄遣いもさけられますし。

ところで、今日の箱根は良い天気でした。
まだ紅葉には早いですが、節子が好きだった箱根だなと思いながら上がって来ました。
最近はあまり抵抗はなくなりましたが、箱根はやはり苦手です。
2年ほど前、魔がさして、ホテルからの帰り、逆方向のバスに乗って後悔したことがありますが、箱根には節子に付き合って毎年2、3回来ていましたので、そこらじゅうに思い出があるのです。
まるで節子を思い出させる仕掛けが至るところに張り巡らされているようです。
これはもしかしたら、節子の陰謀かもしれません。
困ったものです。

さて明日もフルコミットする予定です。
喉は大丈夫でしょうか。

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2014/10/02

■節子への挽歌2589:わらび餅

節子
昨日、湯島に来た友人が、2種類のわらび餅を持ってきてくれました。
金沢と浅草のものです。
彼は今、わらび餅にはまっているのだそうです。
節子の好物だったので、いずれもまずは仏壇に供えさせてもらいました。

昨夜は遅かったので、今日、そのおさがりをいただきました。
いずれもおいしかったのですが、私には金沢のほうが好みでした。
ただ、正直に言えば、私はさほどわらび餅が好きではなかったのです。
ところが、今回、2つのわらび餅をいただき、好きになりました。
嗜好が変わったのかもしれません。

実は、嗜好が変わったのはこれだけではありません。
自分ではそうは思っていませんが、節子や娘たちに言わせると、私は好き嫌いがかなりあるそうです。
もしかしたら、節子がいたころは、節子の好きなものは、あまり食べなかったのかもしれません。
特に好きだというものは、とても限られていて、それ以外の食べ物に対する執着はほとんどないのです。
ですから、よりおいしく食べられる人がいたら、その人が食べるのがいいというのが、私の考え方でした。
ところが、節子がいなくなったら、食べる人が減ったので、私も食べるようになった、そうして食べてみたら、おいしかったということなのかもしれません。

しかし、それだけではないかもしれません。
確かに、嗜好自体が少し節子に似てきたような気もします。
私の味覚を通して、彼岸の節子が現世の味を楽しんでいるのかもしれません。

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2014/10/01

■現実を見えないようにする報道

木曾の御嶽山の山頂付近は、火山灰で覆われて、まるで月面のようなモノカラーの世界になってしまいました。
テレビも、その被害状況を毎日飽きもせずに、克明に流しています。
大変な事故でしたし、被害者も多く、確かに大事件です。
しかし、と、私は思います。
これほどまでに取り上げるのは、いささか過剰ではないかと。
おかげで社会のほかの動きが、火山灰で埋まった山頂のように、見えなくなってしまっているのではないかと。
新聞がこの事件に割くスペースもあまりに多すぎるような気がします。

この災害事故に限りませんが、最近の新聞は週刊誌のように、ある一つの話題に集中する傾向があります。
多くの人の時代認識や社会の見え方は、マスコミの報道によって構成されます。
重要なことも、報道されなければ存在すら気づきませんし、小さな事件も報道の仕方によっては大事件です。
デング熱も、昨年までは報道されませんでしたが、なぜか今年は報道されたので、大事件になりました。
つまり、世界は存在すると同時に、創られているわけです。
私たちは、存在する世界で生きているわけではなく、創られた世界に生きています。

そういう視点で考えると、世界は実にシンプルになってきました。
つまり報道がシンプルになってきたということです。
そのことと、政治の世界から多様性が失われつつあることとは無縁ではないように思います。

現実を見えるようにする報道から、現実を見えないようにする報道へと、日本のマスコミは変質してきています。
現実を見たいならば、新聞を捨てて、街に出なければいけません。
そのことを、御嶽山の噴火によって、改めて実感しています。
テレビで映し出される、灰色の御嶽山は、いまの日本社会そのもののような気がしてなりません。

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■節子への挽歌2588:2人の貧乏人の話し合い

節子
武田さんと友好裡に3時間も話しました。
昔はよくこうやって話し合ったものでした。

武田さんは明後日から夫婦でフルムーン九州旅行です。
佐藤さんはうらやましがるからとあまり話さないのですが、友人夫婦が仲良く旅行することはうれしいことです。
武田さんとの付き合いはもう30年ほどだと思いますが、ビジネスの付き合いはありません。
私の場合、そういう友人がほとんどですが、お互いの生き方を知り合った仲です。
かなり生き方は違うので、活動の接点はあまりできませんが。

武田さんは、墓石に「究極的民主主義の提唱者」と彫り刻むように子どもたちに頼んでいるそうです。
武田さんのライフワークは、究極的民主主義なのです。
本も何冊か出版していますが、代議制民主主義は民主主義に非ずというのが、武田さんの主張です。
ビジネスのための会社はお持ちですが、その会社もある意味では、民主主義というテーマに取り組むための存在と言ってもいいでしょう。
そういう生き方は、実に健全です。
ただし、武田さんは私と違って浪費家でもあります。
困ったものですが、それは彼の個性なのですから仕方がありません。
佐藤さんは貧乏だからといつも言われていますが、浪費家ほど貧しい人はいませんので、私から見れば、武田さんが貧乏なのです。
まあ、それほどに意見は違うのですが、意見が違うことはいいことです。

湯島のオフィスを開いた時、武田さんはよくやってきていました。
当時、よく来た人で今も続いているのは武田さんくらいでしょうか。
時代も来客も、どんどん変わっていきますが、変わらないのは私と武田さんくらいでしょうか。
武田さんと話していると、節子がいたころのことを思い出します。
節子がいなくなった後、武田さんは私のことをとても心配してくれました。
そうしたことへのお返しが全くできていません。
最後に、武田さんのためにひとつくらい何か役に立つことをしようと思っているのですが、今日、話し合って、少し私にもできることが見えてきました。
11月に、武田さんの政治サロンを開き、できればユーチューブでアップできないかと思っています。
サポートしてくれる人はいないでしょうか。
参加してくれる人も歓迎です。
ご連絡ください。

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■節子への挽歌2587:自分から行動を起こす

節子
今年ももう10月です。
実に時間が早く進みます。
先日も書きましたが、注意しないとあっという間に人生は終わってします。
死を意識した節子は、病状が一段落した時に、とても意識的に生きました。
あの頃の節子は、ある意味、とても生き生きしていました。
節子にとって、当時の時間の進み方はどうだったのでしょうか。

意識的に生きるということが、どういうことなのか、まだわかっていないのですが、まあ、それを考えながら生きようということです。
わかったようでわからない話ですが、今はいささか流されて過ぎていますので。

とくに最近は引きこもりがちです。
誘われると出かけますが、自分でどこかに行こうという気が起きません。
福岡にも長崎にも、滋賀にも山形にも、行きたいと思うのですが、行く理由が与えられません。
行きたい理由はあるのですが、それはそこに、久しく会っていない友人がいるだけの話です。
それだけでは、最近の重い腰はあがらないのです。

最近は湯島に行くのも面倒になってきました。
行くといろんな人に会うことになります。
会えば何かの宿題を背負いこみます。
相手から背負わされるという意味ではありません。
私が勝手に刺激を受けて、行動したくなるのです。
しかし、すぐに行動できない自分に気づきます。
だから人には会いたくないのですが、会いたいと言ってくる人がいれば、会わないわけにはいきません。
ずっとそういう生き方をしてきたからです。

今日も湯島に行きますが、今日はちょっと違います。
私から会おうと誘ったのです。
もっとも相手は、先週も会った武田さんです。
自分から行動を起こす。
しばらくやめていたことを始めることで、何かが変わるだろうと思っています。

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