■節子への挽歌2609:それでも農夫は諦めません
節子
どうも医療と福祉のありかたに縛られてしまっています。
今日は、やはりイタリアの精神病院解体レポートの「自由こそ治療だ」という本を読んでしまいました。
最近、毎日2時間ほど読書しています。
「自由こそ治療だ」のなかで、とても感動的な言葉に出会いました。
精神障害のある人が繰り返し、医師に苦労を掛けます、
挙句の果てに自殺未遂まで起こしてしまう。
そこでその医師に著者が、「再び監禁してしまった方がよいのではないか、と思いませんか」と訊いたところ、医師は首をふって次のように言ったというのです。
「いいえ、いいえ。我慢しなければいけません。私たちは農夫のようなものです。畑を耕し、作物を植え、収穫を待ち望むのです。それから霰が降り、すべてをオジャンにしてしまう。でも、それでも農夫は諦めません。彼は翌日またはじめます。そして今度はもっとよいことを期待するのです」。とても元気づけられる言葉です。
むしろ「時評編」ネタなのですが、節子にも教えたくて、挽歌編に書いてしまいました。
節子と一緒に、こういう生活をしたかったと、つくづく思います。
それにしても、この言葉は気に入りました。
今日もまた畑に行けませんでしたが(明日も出かけるのでだめですが)、日曜日にはやはり畑に行きましょう。
時評編にも、やはりこの言葉を紹介しましょう。
実に気に入りました。
そういえば、「小さな村の物語 イタリア」では、こういう話が多いです。
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