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2014/10/15

■節子への挽歌2601:奇跡を起こすのは愛

節子
今日はイエス・キリストの話です。

イエス・キリストが起こした奇跡物語はたくさんあります。
目の見えない人を見えるようにしたとか、歩けない人が歩けるようになったとか、いろいろとあります。
これは後世の人が脚色した話だという人もいますが、イエスの時代の人はだれも否定していないそうです。
魔術かもしれないと批判する人はいましたが、そうしたことが起こったということに関して否定している記録はないそうです。
レザー・アスランの「イエス・キリストは実在したのか?」で改めて知ったことですが。

韓国で認知症予防ゲームに取り組んでいる佐々木典子さんのお話によれば、そのゲームの楽しさにつられて、車いすの人が一人で歩きだしたということがあったそうです。
私は、そうした話は特に「奇跡」とはとらえずに、生命現象の一つだという捉え方をしています。
ですから、私には「超能力」とか「超常現象」という言葉そのものにも違和感があります。
人間の能力はフルに発揮されているわけではないのですから、現代の科学で理解できないことが起こるのは当然のことなのです。
科学で理解できない現象を「超能力」とか「超常現象」と呼ぶこと自体が、私には違和感があるのです。
その背後には、科学万能発想があり、どう考えても傲慢であり、無知そのものでしかありません。
死んだ白雪姫が王子の愛を込めたキスで生き返るということは、私にはきわめて理解できる話です。
いま考えると、なぜ私はそんな簡単なことさえしなかったのかと後悔しています。

イエスの時代には、目の見えない人が見えるようになり、死んだ人が生き返ることが信じられていたのかもしれません。
科学の世界は、生命や愛の世界のほんの一部しか解明していないでしょう。
世界は、科学者が見ているよりもずっと広くて深いのです。
だからこそ、未知を解明する科学が存在できるのですから。

節子の病状が反転し、奇跡が起こったと思った、まさにその日の夜、節子は旅立ちました。
私に、ナザレのイエスほどの熱情と信念があったら、と「イエス・キリストは実在したのか?」を読んで、改めてまたそう思いました。
いや、私になかったのは、誠実さと愛だったのかもしれません。
彼岸で節子に会ったら、叱られるかもしれません。

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