■節子への挽歌2604:悩みを荷担できるか
節子
昨日、自宅で暮らせなくなった人たちのセーフティネットをテーマにしたサロンを湯島で開催しました。
7人の参加者がありました。
参加者の一人は、自宅で暮らしている人たちのセーフティネットに取り組んでいる人です。
まったく視点が反対ですが、いずれも40代後半の女性です。
参加者の半分は男性でしたが、男性と女性とでは現実感が違います。
女性は、将来の自分の問題として考えていますが、男性はむしろビジネスとして考えています。
老後の生き方に関して、やはり男女の思考は違うようです。
この種の集まりをこの数年かなりやってきました。
40代から50代の女性が、自らの老後の生き方を真剣に考えています。
それに比べて男性は、必ずしも現実感を持って考えていないような気がします。
自分の人生を真剣に生きているのは、女性たちなのかもしれません。
男性はどこかで女性に依存している気がします。
私自身がそうだからなのかもしれませんが、いつもそう思います。
少なくとも私は、将来のことをあまり考えずに生きてきました。
その咎が、今頃になって、私を襲ってきているのですが、それにもかかわらず、相変わらず先のことは考えられません。
いまは何一つ不自由なく生きていますが、これがずっと続くとは限らないでしょう。
それはわかっているのですが、先のことが考えられないのです。
深い喪失体験をされた方には、わかってもらえるかもしれませんが、時間感覚がなくなるのです。
同時に、不安もあまりなくなります。
ただし、実体がよくわからない「不安感」はあるのですが。
不安もなく、未来もない。
それではたして「生きている」と言えるのか。
最近、時々、そんなことを考えます。
昨日、お会いした人が、ある事情で最近悩みが飛躍的に増えたそうです。
普通ならめげるところでしょうが、「人生にようこそ」って言われている気がするそうです。
悩みがあってこその人生。
悩めるのは未来があるからです。
その人の悩みを、少し荷担しようかなと思ったりしています。
もし担えるのならばですが。
生きているかどうか、確かめるのもいいかもしれません。
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