■節子への挽歌2611:官兵衛のあくび
節子
最近、予定表に空白が増えてきました。
会社を辞めて、節子と一緒に活動を開始した時には、何も働きかけなくとも、手帳はかなり先まで黒く埋まってしまいました。
そのため、毎年年初に予定帳に毎週2日間、何も予定を書き込めないように、最初に黒く塗りつぶしていたことを思い出します。
しかし、今はそんなことをしなくとも、予定表が埋まることはありません。
私が、いわゆるビジネス的な仕事を辞めたのは、節子が発病した翌年からですから、もう10年以上、ビジネスワークはしていないことになります。
もちろん、節子がいなくなってからは、時々、それらしきこともやっていますし、2年ほど前にはある理由でお金をもらう仕事をしたくなったのですが、10年も間が空いてしまうと、そう簡単ではありません。
ただ、ビジネスワークをしなくとも、ソーシャルワークと私が呼んでいる仕事はあります。
それも3年ほど、ほとんどやめていました。
それが復活してきていますが、それでも手帳が埋まるほどではありません。
しかし、だからと言って、何もしていないわけではなく、時に時間の工面が難しくなるほど、バタバタしてしまうこともないわけではありません。
それでも基本的には、忙しいほど暇なのです。
つまり、心を見失うほど退屈だと言うことです。
昨日、大河ドラマ「黒田官兵衛」を見ていたら、隠居した官兵衛があくびをしながら、物足りないと嘆いていましたが、奇妙に共感してしまいました。
しかし、彼の隣には、苦楽を共にしてきた妻のてるがいます。
私の場合は、節子もいないので、ともかく退屈なのです。
だから畑に行って、無思の時間を過ごしたり、読書に逃げ込んだり、サロンを開いたりしているのですが、要するに何かが抜けているような気がしています。
何が抜けているのか、官兵衛のあくびを見て、少しわかったような気がしました。
しかし、いまさら生き方を変えるわけにもいきません。
黒田官兵衛のあくびは、いろんなことを考えさせてくれました。
節子が隣にいたら、考えもしなかったでしょうが。
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