« ■節子への挽歌2597:不老不死 | トップページ | ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味 »

2014/10/12

■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」

節子
最近読んだ「つくられる病」の本にこんな文章がありました。

生きている限り、私たちは何らかの苦悩に直面する。
苦悩のない状態とは死んだ状態である。
同感です。
ただし「苦悩」の質や大きさにもよるのですが。

この言葉の裏を返せば、節子には苦悩がないということになえるでしょうか。
時々、節子の位牌に手を合わせながら、節子は苦労がなくていいね、と声をかけます。
節子が現世の苦悩から解放されていることは、せめてもの救いです。

山林に入って自然のなかで生きていれば、たぶん苦悩から解放されるかもしれませんが、人の中で過ごしているとどうしても苦労や悩みは発生します。
そこから逃げようとして「ひきこもり」が始まるのかもしれません。
最近ようやくその気持ちがわかってきました。
あまりにも遅い気付きですが、気づけたことを良しとしましょう。
最近、私も引きこもりたくなることがあります。
事実、その思いに引きずられて、在宅することが増えています。

平安に暮らすためには、自宅に引きこもるのが一番です。
自宅で畑作業をし、読書し、時に世界を見る。
そんな生活はおそらく平安で豊かな生活でしょう。
幸いにして、私の場合、そうしようと思えば、できないわけではありません。
なんとか自活できる生き方を身に着けてきていますので。
しかし、そういう生活になぜか移ろうとは思いません。
余計なお世話をしながら、余計な苦悩を引きずり込んでいるわけです。
3日も自宅にいて、静かに暮らしていると、これでいいのかという声がどこかから聞こえてきます。
それで自分から用事を創り出し、湯島に出かけていくわけです。
この生き方は、たぶん最後まで変わらないでしょう。
人にはそれぞれ生き方が決められているのです。
それに抗うことはできません。

|

« ■節子への挽歌2597:不老不死 | トップページ | ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味 »

妻への挽歌13」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」:

« ■節子への挽歌2597:不老不死 | トップページ | ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味 »