■節子への挽歌2591:常識に無知だったのかもしれない
節子
今朝の箱根はあまり天気がよくありません。
今日は、午後まで合宿に付き合います。
一応、話し合いのアドバイザー役ですが、いない方が良いこともあるのですが、
今回はなんとなく最後まで付き合った方がいいと思っています。
いた方がいいかどうかは、それなりにわかるものです。
自分の行動は自分の判断と責任で決めるのが、会社を辞めた時に決めたルールです。
昨今のビジネス環境やビジネス界の常識には合わないかもしれません。
しかし、フリーで仕事をするのであれば、組織や制度や世間常識の呪縛からは自由でなければ意味がありません。
ところで、世間常識の呪縛から自らを解き放すことと世間の常識に無知であることとは違います。
もしかしたら、私の生き方は前者ではなく後者だったのかもしれません。
最近、娘からそう指摘されているのですが、反論できずにいます。
もしそうであれば、常識人の節子には戸惑いの多いことだったでしょう。
もっとも、節子もまた常識に無知だったことは十分あり得ます。
困ったものです。
ホテルの窓から箱根の緑を見ていると、いろいろと思いが広がります。
さて時間になりました。
話し合いの場に行くことにします。
今日は少しおとなしくしていようと思いますが、さてどうなりますか。
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