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2014/10/08

■節子への挽歌2595:決定的瞬間

節子
以前、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」について、何回か書いたことがありますが(時評編が中心でしたが)、彼の作品に「日の名残り」という、これもまたとても哀しい小説があります。
主人公は英国人の執事スティーブンスです。
執事という職業は、現代の日本人にはなじみのうすい職業ですが、著者が主人公に執事を選んだ理由は「我々は皆、執事のようなものだ」からだそうです。

執事に限りませんが、私たちは生きている以上、決断を迫られる場合があります。
そうしたなかには、その決断が自らの人生を決めることになる「決定的瞬間」というものがあります。
それがどの段階でやってくるのかはわかりませんが、後で振り返ると、あの時がそうだったと思うことがあります。
「日の名残り」は、そのことをテーマにしています。

スティーブンスは、最高の執事を目指しています。
そのために、尊敬する父親の死に目にも会えませんでした。
執事にとっての大事な仕事と重なったためでした。
父を見守るか、直面している重要な仕事を続けるか。
彼は仕事を選びました。
その時、彼は「今が決定的瞬間」だと思ったかもしれません。
事実、それによって、彼は執事としての高い評価を得ることができました。
執事だった父親は、息子を誇りに思って旅立ったかもしれません。

しかし、スティーブンスにとっての「決定的瞬間」は、ほかにもあったのです。

彼が執事をしていた家の家政婦ミス・ケントンは、彼に想いを寄せていたのですが、彼もまた彼女に好意を感じていました。しかし、偉大な執事が恋愛感情をもつなど、彼には言語道断でした。
ある日、スティーブンスは、彼女の部屋の前で彼女のすすり泣く声に気づきます。
彼女の叔母が亡くなった知らせが届いたのです。
スティーブンスは、部屋に入り彼女を慰めることもできたのですが、「個人的な苦悩にむやみに干渉する」ことを潔しとせずに、通り過ぎます。
その後、しばらくして、ミス・ケントンは家政婦を辞め、好きでもない男性と結婚しました。

彼はこの出来事のことなどすっかり忘れていました。
ところが、それから20年経ったある日、彼は、あのミス・ケントンの部屋を通り過ぎた時こそが、決定的瞬間だったと気づくのです。
それに気づいたスティーブンスは、夫と別居していたミス・ケントンを訪ねます。
ちょっと期待した人には残念なのですが、哀しい結果で、小説は終わります。

私の人生にとっての決定的瞬間はいつだったのだろうか。
時々そう思うことがあります。
実のところ、今のような人生になることは、思ってもいませんでした。
たぶん節子もそうだったでしょう。
人生とは実にわからないものです。

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