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2014/10/17

■「こころのケア」???

とても気になる言葉があります。
「こころのケア」です。
最近は何か事件があると、被害者や周辺の人たちへの「こころのケア」が話題になり、テレビでも盛んにこの言葉が使われます。
その言葉を耳にするたびに、とてもいやな気分になります。
「ケア」という言葉が、なにかとても軽薄な技術のように思えてしまうのです。

私が「ケア」という言葉をしっかりと意識しだしたのは15年ほど前でしょうか。
当時はまだ「ケア」という言葉が新鮮でした。
最初に読んだ本は、ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」です。
そこで、ケアとは行為概念ではなく関係概念であることを知りました。
不勉強ながらとても共感しました。
次に読んだのが、池川清子さんの「看護―生きられる世界の実践知 」でした。
そこで感じたのは、これは医療や福祉の世界の話ではないということでした。
生き方の問題であり、あるいは社会のあり方、さらには組織のあり方にとっての、本質的な問題だと感じたのです。

2000年にコミュニティケア活動(コムケア活動)というのをはじめました。
その活動は今も続いていますが、その活動を通して「ケア」ということの意味がだいぶわかってきたつもりでした。
ですから、ケアという言葉が広がってくることはとてもうれしいことでした。

ところが最近はあまりに耳にするので、天邪鬼の私にはだんだん耳障りになってきました。
しかも「こころのケア」。
私にはよくわからない言葉になってきてしまったのです。
さらに最近は「心の専門家」とかいう職業まであるようで、私の理解を超えだしています。
ケアの専門職というのもいるのかもしれません。
そうなるとたぶんケア産業というのが生まれているのでしょう。
なにしろ「ホスピタリティ産業」というのもあるのですから。

私が一番気になるのは、ケアが行為概念や医療概念に捉えられているように感ずることです。
何やら最近の精神医療の流行というか、市場化というか、そんな流れの延長を感じてしまいます。
なんでも産業化され、市場化され、金銭化される時代になってしまいました。

私は妻を亡くした時に、大きな喪失体験をしました。
たぶん精神的におかしい時期が数年ありました。
しかし周りの人たちが日常的に支えてくれました。
心の専門家による「こころのケア」を受けずにすんでよかったです。

それにしても、軽々しく「こころのケア」などと口に出し、専門家に任せてしまう風潮が、何やらとても悲しいです。
周りの人が気遣えばいいだけの話でしょう。
なんでそこに専門家が入ってくるのか、私ならたぶん蹴飛ばしたくなるでしょう。

そういえば「傾聴ボランティア」というのもあります。
傾聴を仕事(金銭をもらわなくても)にしていいものかどうか。
私にはとてもそんなことはできません。
もちろん他者の話にはしっかり耳を傾けることは大事なことであり、私もそう心がけてはいますが。
「傾聴ボランティア」などという言葉を使う人の感性が、私には理解できません。

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