■薬用植物事典「デューク グリーンファーマシイ」
私の書棚には「デューク グリーンファーマシイ」(翻訳書)という本があります。
20年以上前に、知人の星合和夫さんが翻訳された本です。
当時はお気に入りの本で、妻の病気の時にもよく読みました。
最近も、何かあるとひっぱり出してきて読むのですが、消化できずにいます。
欧米ではミリオンセラーになっている薬用植物の事典です。
この日本版が、もう少し実践的な内容でつくられないものかと思っています。
妻の看病時、様々な民間療法も試みました。
いまから思えば、中途半端でしたが、その時学んだことをきちんと記録しておけばよかったと思いますが、妻が亡くなったとたんに、逆に忘れたくなりました。
娘たちは、たぶんそうした民間療法への信頼感はないでしょう。
民間療法は生活の中から生まれてきたものであり、生活と深くつながっています。
その療法だけを取り出しても、効果は上がらないのかもしれません。
東洋医学には「未病」という概念もありますが、病気もまた「健全な生活の一部」だと考えるのがいいのかもしれません。
「医食同源」が示唆しているのも、そういうことなのでしょう。
つまり、病気とは日頃の生活のあり方を問い質すための時間なのかもしれません。
そうであれば、治療とは生活を正すことになります。
その発想が生活習慣病のような話になってしまうと、逆に「医療化」に向かってしまいます。
どこに間違いがあるのか。
たぶん個人視点で考えるか全体視点で考えるかの違いがあるのでしょう。
考えているうちに、病気の捉え方が、だんだんわからなくなってきました。
もう少しきちんと考えないと、間違った結論にたどり着きそうです。
「つくられる病」の著者の井上芳保さんに共感したので、ほかの著書も読み出しました。
「健康不安と過剰医療の時代」(長崎出版)のはしがきで、井上さんは「医療っていいものでしょ」という私たちの「常識」を問題にしています。
73年も生きていると、そうした「常識」から抜けたつもりでも、なかなか抜けられません。
それはそれとして、日本版薬用植物事典をどなたか作ってくれませんか。
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