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2014/10/31

■節子への挽歌2615:夢こそ生きる支え

節子
時評編に書いたのですが、今朝の朝ドラでの2つのセリフにいろいろと思いをはせました。
「人は夢ではいきていけない」
「私は夢を食べて生きていけます」

最初のは、ウィスキーづくりにすべてをかける主人公まっさんを諭す世間の良識人のセリフ。
次のは、そのまっさんを支える妻のエリーのセリフです。
時評編に書きましたが、私は、人は夢だけで生きていける、むしろ夢がなければ生きていけないと考えています。
そしてエリーが言ったように、夢があれば生きていけるとも思っています。

夢は、どんなにささやかであってもいいのです。
大志や大望などである必要はまったくありません。
今日は楽しい1日にしたい、というような、ささやかなもので十分です。

さらに言えば、その夢を妻や家族や仲間と一緒に見ることができれば、どんなに幸せでしょうか。
最高の幸せは、世界中みんなと一緒に見る夢かもしれません。

最近、時々思うのですが、節子がいたころは何であれほどに些細なことが楽しかったのでしょうか。
夢に関して言えば、ことさら夢について話し合ったことはありません。
でもどこかに、夢の気分があったのです。
一緒に老いを楽しみ、生を全うするくらいの、夢だったのです。
人が生きていられるのは、そんな小さな夢でいいのです。
それに対して、夢だけでは生きていけないなどという発想は、さびしすぎます。
少なくとも、私は夢のない人生は生きたくはありません。

といいながら、果たして今の私の夢はなんでしょうか。
この挽歌にも書いたかもしれませんが、夢がなくなってしまい、生きる意味を見失ったという状況も何回かありましたし、いまもそういう状況から抜け出たとは言えません。
しかし、生きている。
つまり夢がまだ私の中に残っているのです。
それはなんでしょうか。
彼岸で節子に会うことでしょうか。
心穏やかに余生を過ごすことでしょうか。
誰かの役に立つことでしょうか。

夢は残っているにもかかわらず実感できないのは、もしかしたら分かち合う人がいないからかもしれません。
夢そのものではなく、夢をシェアすることに、私の意識が向きすぎていたのかもしれません。
そう考えると、いろんなことが納得できます。
私にとっての夢とは何なのか。
いや、夢とはなんなのか。
またまた青臭いテーマにぶつかってしまいました。
困ったものです。

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