■節子への挽歌2589:わらび餅
節子
昨日、湯島に来た友人が、2種類のわらび餅を持ってきてくれました。
金沢と浅草のものです。
彼は今、わらび餅にはまっているのだそうです。
節子の好物だったので、いずれもまずは仏壇に供えさせてもらいました。
昨夜は遅かったので、今日、そのおさがりをいただきました。
いずれもおいしかったのですが、私には金沢のほうが好みでした。
ただ、正直に言えば、私はさほどわらび餅が好きではなかったのです。
ところが、今回、2つのわらび餅をいただき、好きになりました。
嗜好が変わったのかもしれません。
実は、嗜好が変わったのはこれだけではありません。
自分ではそうは思っていませんが、節子や娘たちに言わせると、私は好き嫌いがかなりあるそうです。
もしかしたら、節子がいたころは、節子の好きなものは、あまり食べなかったのかもしれません。
特に好きだというものは、とても限られていて、それ以外の食べ物に対する執着はほとんどないのです。
ですから、よりおいしく食べられる人がいたら、その人が食べるのがいいというのが、私の考え方でした。
ところが、節子がいなくなったら、食べる人が減ったので、私も食べるようになった、そうして食べてみたら、おいしかったということなのかもしれません。
しかし、それだけではないかもしれません。
確かに、嗜好自体が少し節子に似てきたような気もします。
私の味覚を通して、彼岸の節子が現世の味を楽しんでいるのかもしれません。
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