■歴史はいい方向だけに進むものではありません
先日、ある集まりで、精神障害者を私宅監禁する座敷牢の話が話題になりました。
障害者を排除する社会が話題だったのです。
だから江戸時代以前に戻れば、社会はもっと住みやすくなるのにと私は発言しましたが、だれからも賛成を得られませんでした。
こういう経験はよくあります。
おそらく私と多くの人のずれは、歴史はいい方向に進んでいるという前提で考えるかどうかです。
少なくとも私は、歴史は必ずしもいい方向には進んでいかないと考えています。
精神障害者の座敷牢は明治から昭和にかけての話です。
しかしみんななんとなく江戸時代にも行われていたと考えているような気がします。
たしかに江戸時代にも「座敷牢」はありましたが、それは精神障害者を閉じ込めるものではありません。
日本で「精神病者監護法」ができたのが明治33年です。
これは、精神病者はなるべく病院に収容すべしという法律です。
しかし、当時の日本は、財政難の時代で、病院はつくれないため、「患者は家の中の奥まった所に閉じ込めておき、外に出すな」という私宅監置が始まったのです。
これが精神障害者の座敷牢の始まりです。
明治にあったのであれば、当然、江戸時代にもあっただろうと、私たちは考えがちです。
そこに「進歩史観」の落とし穴があります。
私たちが持っている過去のイメージは、教育で構築されています。
自らの時代を正当化するために、政府は一昔前の時代を「悪しき時代」と教え込みます。
時代はいい方向に進んでいるというわけです。
これは、私たちにとっても受け入れやすい考えです。
しかし、歴史はそんなように、いい方向にだけ進むわけではありません。
この頃、多くの人と話していて、みんな実に真面目に学校教育で学んできたのだなと思います。
私は、学ぶことは大好きでしたが、幸いに学校は嫌いでした。
そのおかげで、余計な知識をあまり背負わずにすんでいます。
もっとも、そのために、いささか最近は生きにくいことも多いのですが。
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