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2014/10/24

■医師と農夫

この1か月ほど、イタリアの精神医療改革の書籍や論文を読んでいます。
それだけではなく、日本の精神医療に関する歴史も少しだけ読んでいます。
読めば読むほど、何やら社会の闇が見えてくるのが恐ろしいのですが、私自身にも深くかかわってくる気がして、抜けられなくなっています。
それに、イタリアの精神医療改革を先導したフランコ・バザーリアの考えは、私がずっと考えてきたものととても重なっています。
それもあって、とまらなくなっているのです。

今日は、ジル・シュミットというスイスのジャーナリストによるイタリアの精神病院解体レポート「自由こそ治療だ」という本を読んでしまいました。
そこに書かれている、彼女とバザーリアの対話は、それこそ感動的ですが、それは置いておいて、やはりそこに出てくるある精神医療にかかわる医師の言葉に感動したので紹介することにしました。

精神障害のある人が繰り返し、医師に苦労を掛けます。
挙句の果てに自殺未遂まで起こしてしまう。
そこでその医師に著者が、「再び監禁してしまった方がよいのではないか、と思いませんか」と訊いたところ、医師は首をふって次のように言ったというのです。

いいえ、いいえ。我慢しなければいけません。
私たちは農夫のようなものです。
畑を耕し、作物を植え、収穫を待ち望むのです。
それから霰が降り、すべてをオジャンにしてしまう。
でも、それでも農夫は諦めません。
彼は翌日またはじめます。
そして今度はもっとよいことを期待するのです。
とても元気づけられる言葉です。
日本にも、こんな医師はいるのでしょうか。
バザーリアの世界では、医師と農夫とが同じなのです。
日本では、もしかしたら対極かもしれません。

そういえば、テレビの「小さな村の物語 イタリア」では、こういう話が多いです。
以前、医療も含めて、「改革」の話を10回シリーズで書きましたが、改革を可能にするのは、やはり人間観だと改めて確信しました。
それを抜きにした「改革」はありえないでしょう。
私の人間観がますます好きになりました。

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