■節子への挽歌2612:付き合い世界
節子
最近めっきり受信するメールが減りました。
最近は平均して1日に100通くらいでしょうか。
しかもそのうち、半分以上は勝手に送られてくるメールです。
迷惑メールなどは別枠に排除されるようにしていますが、それでもなぜかいろんなメールが届きます。
実際にメッセージに対応すべき個別のメールは、最近はせいぜい30通以内です。
ホームページへのコメントも最近はなくなりました。
おそらくホームページはすでにメインの個人情報メディアではなくなっているのでしょう。
ブログも、フェイスブックと違い、コメントはほぼなくなりました。
以前は、1日気分が沈むような辛辣なコメントもありましたが、最近はなくなりました。
そもそもネット上がにぎやかになりましたから、私のようなくどくどしくややこしい議論のサイトは時代遅れなのでしょう。
ましてや、この挽歌編のように、書き手のためのサイトは読まれる方がめずしいということでしょう。
読んでくださる方には、感謝しなければいけません。
幸いなことに、どのくらいの人が読んでくださっているかは、書き手の私にはわかりません。
それに誰が読んでくれているかもわかりません。
時々、読んでいるという人に会って、いささか恥ずかしい気分になることもありますが、挽歌と時評がありますので、どちらを読んでいるかあいまいにできるのがせめてもの救いです。
今年は紅葉でも見に行こうかという気になり始めていたのですが、いろいろとあって、今年もまた行けそうもありません。
あいかわらずストイックな生き方を続けています。
それもあってか、行動範囲は最近かなり狭まっているような気がしますが、これもまた「健全な老化」のあらわれなのかもしれません。
それに「老化」は必ずしもマイナスベクトルではなく、行動範囲を狭くなっても、世界は狭くならないのかもしれません。
動かなくとも以前よりも世界は見えるようになってきました。
彼岸に行けば、さらに世界がよく見えるのでしょう。
そんな気がします。
連絡が途絶えた友人知人が何人かいます。
しかし考えてみると現世での連絡などあまり必要ないのかもしれません。
友人知人を悲しませないためにも、付き合いの世界は徐々に小さくしていくのがいいのかもしれません。
今日は何やらおかしなことを書いてしまいました。
一昨日の老夫婦の映像が頭から離れません。
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