■節子への挽歌2596:喜びを分かち合える人の大切さ
節子
湯島のオフィスに一匹だけ残っていた水槽の白メダカが死んでしまいました。
元気だったので安心していたのですが。
これでメダカは全滅してしまいました。
しばらく湯島に来るのをさぼっていたため、水温が上昇したためかもしれません。
黒メダカ、ヒメダカ、白メダカといろいろ湯島で飼ってみたのですが、うまくいきませんでした。
節子が来ていたころは、メダカもずっと長生きだったのです。
水槽は、貝とエビだけになってしまいました。
エビは3匹だけだったのですが、今はたくさんになっています。
エビがメダカに勝ったのかもしれません。
しかし、もしかしたら白メダカは一匹だけだったのでさびしくて生きるのを止めたのかもしれません。
仲間がいるといないとでは、世界が違うでしょうから。
昨日の挽歌で、執事スティーブンスのことを書きました。
彼は主人であるダーリントン卿のために人生をささげてきて、一流の執事と自他ともに認められる存在になりました。
目指していた目的が達成されたのです。
ところが、そこから人生が変わりだします。
次なる目的が見いだせなかったからでしょうか。
そうではないでしょう。
さらなる高みを目指すことはできたはずです。
では、何か。
それは目的を達成した喜びを分かち合える人がいなかったことに気づいたからだろうと思います。
だからミス・ケントンに会いに行ったのでしょう。
話は飛びますが、なぜアレキサンダー大王は身を崩し、若くして病死したか。
あれだけの偉業を達成しながら、やはり達成を分かち合う人がいなかったからだろうというのが、私の昔からの考えです。
今回のノーベル賞受賞者の報道を見ていて、分かち合う人がいることをとてもうれしく思います。
喜びや悲しみを分かち合う人の存在が、どれほど大きな意味を持っているか。
改めてそれを強く思います。
メダカの話がなにやら大きな話に飛躍してしまいました。
水槽で跳ね回るエビを見ていると、思いも跳ね回ってしまいます。
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