■節子への挽歌2605:赤い唐辛子
節子
畑での野草とのたたかいは、ようやく決着がつきました。
昨年と違って今年は私が畑を制しました。
刈り取った篠笹は堆肥にならないので、袋詰めしてごみとしてほとんど処分し、堆肥になりそうな草は穴を掘って埋めました。
まだ耕して、畝をつくるところまではいきませんが、近々、耕耘機を購入して、耕すつもりです。
今年は野菜はほとんどダメでしたが、最後に赤い唐辛子が数本実っていたので、抜いてきて、節子に供えました。
今年はわが家にはあまり良いことは起こらずに、厄払いが必要なほどですので、これで厄除けでも作ろうかと思います。
しかし、以前も一度、だれかから立派な赤い唐辛子の束をもらったのですが、あの年もあまり厄払いにはならなかったような気もします。
わが家よりも、きっと困っている家が多いのでしょう。
わが家で厄を祓えば、どこかにその厄が行くかもしれないので、軽々に厄払いするわけにもいきません。
しかし、できればわが家の厄も祓いたいものです。
野菜はダメでしたが、節子が植えたミカンは今年4つ実りました。
植えてからもう10年近くたつのですが、なぜか大きくならずに、しかも実がならなかったのです。
今年はめずらしく実りました。
何しろわが家の農園は、宅地造成されたところの空き地の一画なので、土壌はひどいものです。
家屋建設の時の様々なものが埋まっていたり、とても畑などとは言えません。
ですから樹木でさえ難しいのです。
わが家から移植した日本イチジクも枯れてしまいました。
幸いに小さな枝を挿しておいたのが根付いてくれましたので、何とかこれを復活させたいと思います。
2年後には節子に供えようと思います。
節子は、この木のイチジクだけは好きでしたから。
節子がいたころに、もっと一緒に畑をすればよかったと後悔しています。
最近また後悔することがいろいろあります。
後悔しても何の意味もないばかりか、逆に気分が重くなるだけなのですが、後悔するような材料がたくさんあるのです。
それが心にたまってくるのはよくありません。
畑に穴を掘って、草を埋めましたが、草と一緒に後悔の種も埋めてしまえればいいのですが。
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