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2014/10/11

■節子への挽歌2597:不老不死

節子
何やら元気になったはずなのですが、昨夜から体調がいささかおかしくなりました。
時評編で「健全な老化」賛美論を書いた途端に、このていたらくです。
どこというわけでもないのですが、胎に力が入らないのです。
老化するといろいろとありますが、どうも無理ができないのと心身がいささかバランスしていないのが困ったものです。
しかし、今日は午前中の約束もあり、午後からは湯島の集まりもあるので、湯島に行きました。

今朝、電車の中で読んできた本に映画「TIME/タイム」のことが言及されていました。
不老不死が実現した未来の社会の話です。
と言っても、実に暗い話です。
私も以前観ましたが、記憶に残っているのはスラム街の陰鬱さだけです。
すっかり忘れていた映画です。
不老不死が実現したということは、裏を返せば、生死が管理できるようになったということです。
管理された人生を生きるということは、どういう感じでしょうか。
その種の話はオーウェルの「1984年」をはじめ、いくつかありますが、不老不死が実現しても、あまり関係ないのでしょうか。
実は、全く違うはずなのですが、たぶん「TIME/タイム」の原作者には想像できなかったのでしょう。

いずれにしろ、死を管理された人生は、たぶん「生きている」という気はしないでしょう。
生きている喜びは、もしかしたら死があるからかもしれません。
こう言えるようになったのも、やはり節子がいなくなってから8年たったからかもしれません。

節子がいたころには、私も不老不死にあこがれました。
しかし、今は違います。
不老不死は人生を退屈にすることはあっても、豊かにはしないだろうなと思います。
だから健全に老いていき、気がついたら鬼籍にはいっているというのは、やはり生きる魅力なのだろうと思います。
しかし、鬼籍に入っていたことに気づいた時の気分ってどんな感じでしょう。
想像しただけでも楽しくなりますね。
節子はどうだったでしょうか。

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» 『タイム』: 我々は将来の99%だ。 [マスコミに載らない海外記事]
2011年10月27日 Hollywood and Fine Reviews 偉大な映画というわけではなく、おそらく非常に良い映画ですらないだろう。しかし、アンドリュー・ニコルの“タイム”は、その本質、つまりウオール街占拠運動の基盤である、所得の不平等への反対論と同じ説を主張する政治映画として称賛されるべき作品だ。 ニ... [続きを読む]

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