■節子への挽歌2587:自分から行動を起こす
節子
今年ももう10月です。
実に時間が早く進みます。
先日も書きましたが、注意しないとあっという間に人生は終わってします。
死を意識した節子は、病状が一段落した時に、とても意識的に生きました。
あの頃の節子は、ある意味、とても生き生きしていました。
節子にとって、当時の時間の進み方はどうだったのでしょうか。
意識的に生きるということが、どういうことなのか、まだわかっていないのですが、まあ、それを考えながら生きようということです。
わかったようでわからない話ですが、今はいささか流されて過ぎていますので。
とくに最近は引きこもりがちです。
誘われると出かけますが、自分でどこかに行こうという気が起きません。
福岡にも長崎にも、滋賀にも山形にも、行きたいと思うのですが、行く理由が与えられません。
行きたい理由はあるのですが、それはそこに、久しく会っていない友人がいるだけの話です。
それだけでは、最近の重い腰はあがらないのです。
最近は湯島に行くのも面倒になってきました。
行くといろんな人に会うことになります。
会えば何かの宿題を背負いこみます。
相手から背負わされるという意味ではありません。
私が勝手に刺激を受けて、行動したくなるのです。
しかし、すぐに行動できない自分に気づきます。
だから人には会いたくないのですが、会いたいと言ってくる人がいれば、会わないわけにはいきません。
ずっとそういう生き方をしてきたからです。
今日も湯島に行きますが、今日はちょっと違います。
私から会おうと誘ったのです。
もっとも相手は、先週も会った武田さんです。
自分から行動を起こす。
しばらくやめていたことを始めることで、何かが変わるだろうと思っています。
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