■現実を見えないようにする報道
木曾の御嶽山の山頂付近は、火山灰で覆われて、まるで月面のようなモノカラーの世界になってしまいました。
テレビも、その被害状況を毎日飽きもせずに、克明に流しています。
大変な事故でしたし、被害者も多く、確かに大事件です。
しかし、と、私は思います。
これほどまでに取り上げるのは、いささか過剰ではないかと。
おかげで社会のほかの動きが、火山灰で埋まった山頂のように、見えなくなってしまっているのではないかと。
新聞がこの事件に割くスペースもあまりに多すぎるような気がします。
この災害事故に限りませんが、最近の新聞は週刊誌のように、ある一つの話題に集中する傾向があります。
多くの人の時代認識や社会の見え方は、マスコミの報道によって構成されます。
重要なことも、報道されなければ存在すら気づきませんし、小さな事件も報道の仕方によっては大事件です。
デング熱も、昨年までは報道されませんでしたが、なぜか今年は報道されたので、大事件になりました。
つまり、世界は存在すると同時に、創られているわけです。
私たちは、存在する世界で生きているわけではなく、創られた世界に生きています。
そういう視点で考えると、世界は実にシンプルになってきました。
つまり報道がシンプルになってきたということです。
そのことと、政治の世界から多様性が失われつつあることとは無縁ではないように思います。
現実を見えるようにする報道から、現実を見えないようにする報道へと、日本のマスコミは変質してきています。
現実を見たいならば、新聞を捨てて、街に出なければいけません。
そのことを、御嶽山の噴火によって、改めて実感しています。
テレビで映し出される、灰色の御嶽山は、いまの日本社会そのもののような気がしてなりません。
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