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2014/11/06

■「私は人間としてではなく生きてきた」

五木寛之さんの「私訳歎異抄」を読みました。
まえがきの一文が目に留まったからです。
こういう文章です。

他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。
敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きてきた。
その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。

数年前に話題になった本があります。
レベッカ・ソルニットの書いた「災害ユートピア」です。
東日本大震災の発生する少し前に話題になった本ですが、3.11はこの本の確かさを実証してくれた気がします。

ソルニットは、災害の襲われた人々の間には、一時的とはいえ、日常の利己的な態度とは全く逆の利他的・相互扶助的な共同体ができると主張します。
被災者も、周りの人も、階層や立場を超えて、支え合う状況ができるというのです。
3.11は、確かにそれを出現させました。
その一方で、やはり話題になった本にクライン・ナオミの「ショック・ドクトリン」があります。
災害という惨状に便乗して、資本が入り込んで市場を拡大してしまうという話で、いわゆる「火事場泥棒」の広がりです。
これも3.11のその後の動きの中で広く見られていることです。

災害には二次災害がつきものですが、問題はそれを起こす人はだれかということです。
それはたぶん被災者ではありません。
被災者を支援しようという「エリート」だとソルニットは言います。
その背景には、大衆を信頼していない、おびえるエリートが垣間見えます。
エリートの支援がなければ、みんな寄り添って社会を再構築するのですが、そうなってはエリートたちは困るわけです。
東北復興の動きに、そういう影を感じます。

話を五木さんに戻しましょう。
第二次世界大戦の敗戦は、悲惨な状況をもたらしました。
しかし、そうしたなかでも、生命を賭してまで、「人間として生きた人」は少なくないでしょう。
災害ユートピアは、間違いなく生まれたはずです。
しかし、その一方で、人間として生きられない人も生まれたはずです。
だからと言って、後者を責めることはできません。
それは、その人の生き方の問題であって、良し悪しの問題ではありません。
大切なのは、いずれの可能性もあるということです。

夢がなくても生きられるかという記事へのコメントは、そういうことを考えるとても示唆に富む材料を与えてくれました。
たしかに、いま、生きることが精いっぱいで、余裕のない人もいるでしょう。
精神分析を専門とする樫村愛子さんは「生命線ぎりぎりの状態で、ただ働くだけの毎日を生きる「ワーキングプア」は、異議申し立ての声をあげることさえできず「現代の奴隷」となる」とまで書いています。
でも、そうでしょうか。
彼らは充分に異議申し立ての声をあげている。
それに気づかないのではなく、気づこうとしない社会にこそ、問題があるように思います。
そして、そういう社会の構成員の一人でもある私の問題でもあります。

災害が起こると、立場を超えて、みんなが同じ立場になる。
そこに、これからの社会を考えていく上での、大きなヒントがあるように思います。
そして同時に、果たして現代の奴隷はいったい誰なのか、も考えなおす必要があるような気もします。

続きを明日、書こうと思います。

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