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2014/11/03

■節子への挽歌2619:だれも読まない墓碑銘

節子
月命日なので娘たちを誘ってお墓詣りに行きました。
今年はお墓荒らしにあったりアリの巣ができたり、わが家のお墓にもいろいろとありましたが、少し整え直してきました。

ところで、お墓詣りに来て、いつも思うのは、墓地というのはやはり異様な空間だなということです。
最近では「お墓など不要だ」などという議論もありますが、それはともかく、お墓の形が変わっていくことは間違いないでしょう。
なぜならば、私たちの生き方が変わってきているからです。
お墓は、ある意味では私たちの生き方の象徴です。
いつもそんな気持ちで、墓地を見まわしています。

私の友人は、自分の墓石にある言葉を刻んでもらうことを息子さんに頼んだそうです。
彼は、あることを歴史に残したいからです。
しかし、昨今のように自然災害が多くなると、墓碑銘ですら、長く残るかどうかわかりません。
もし残したいなら、ネット環境のクラウドに墓碑銘を残す方が確実かもしれません。
考えてみると、もしかすると私のホームページは、私の墓碑銘になるのかもしれません。
この挽歌も、その一部になるかもしれません。
不思議な時代になったものです。

最近、ホームページの更新が不十分ですが、墓碑銘を意識して、もう少しきちんとしたほうがいいかもしれません。
しかし、まあ娘たちは、たぶん私のホームページを読むことはないでしょう。
ましてや、それ以外の人が読もうはずもありません。
だれも読まない墓碑銘。
実に私好みです。
ホームページの体裁を少し変えていこうかと思います。
このブログは、このまま続けようと思いますが。

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