■節子への挽歌2634:褒めてくれる人
節子
高倉健さんが亡くなりました。
テレビはそれに関連した番組が多くなっています。
高倉健さんが多くの人に愛されていたのを改めて感じます。
ちらっとしか見ていないのですが、高倉さんが昔書いた文章が報道されていました。
お母さんが亡くなった時のもののようです。
それは、お母さんに褒められるために、自分は頑張ってきたという内容で、最後に、「お母さんがいなくなって、代わりに褒めてくれる人を探さないといけない」というような言葉で締められていました。
意外な話ですが、高倉さんのお人柄が伝わってきます。
私には、そういう気持ちは全くありませんでした。
両親を喜ばせようと思ったことは一度もなく、逆に迷惑ばかりをかけてきました。
しかし、結果的には両親は私の生き方を喜んでくれたはずです。
褒められたことはありませんが。
ただ両親が節子を私に褒めていた記憶はあります。
私を褒めてくれたのは、もしかしたら節子でした。
もっとも節子から直接褒められたことはあまりありませんが、節子の葬儀の後、節子の友人から節子が私のことを褒めていたという話を聞いたことがあります。
私は、むしろほかの人に伴侶を褒めることは厳禁だという考えでしたし、節子もそう思っていたはずなので、それは意外な話でした。
どう褒めていたのかは、今ではもう確かめようもありませんが、私の価値観はちょっと歪んでいるので、それが私にとっての褒め言葉かどうかはわかりません。
しかし、その話を聞いた時、正直、少しだけうれしかったのも事実です。
今日、高倉さんの言葉を聞いて、私が楽しくやってこられたのは、そして何事もうまくできたのは、節子が褒めてくれていたからかもしれないという気がしてきました。
そういえば、節子がいなくなってからは、だれも私を褒めてくれません。
そのせいか、最近はうまくいかないことが多くなっています。
私は誰かを褒めるのがとても不得手ですが、褒められるのはもっと苦手だと思っていました。
しかし、褒めるということは、そして、褒められるということは、人を元気にしてくれるのでしょう。
気づくのが遅すぎました。
ちなみに、自分を褒めてやりたいという言葉は、私にはまったく理解できない言葉です。
どちらかといえば、好きになれない言葉です。
だれかに褒められたいというのはもっと嫌いな言葉でした。
しかし、もしかしたら、節子に褒められていたので、それで十分だったのかもしれません。
いまもまだ、節子は私のことを褒めつづけているでしょうか。
残念ながら、確信は持てません。
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