■節子への挽歌2626:生きるものの歌
節子
前の記事を書いてから、テレビでも見ようとスイッチを入れました。
デューク・エイセスが歌っていました。
すぐにチャンネルを変えようと思いましたが、間に合いませんでした。
デューク・エイセスが歌っていたのは「生きるものの歌」。
あの歌詞に引きずり込まれてしまったのです。
あなたが この世に生まれ節子がいなくなってから、テレビの歌番組は見るのをやめました。
あなたが この世を去る
わたしが この世に生まれ
わたしが この世を去る
その時 涙があるか
その時 愛があるか
そこに 幸せな別れが あるだろうか
歌は強烈に記憶を呼び起こすからです。
特にデューク・エイセスは思い出したくありません。
節子とのたくさんの思い出があるからです。
私は子供のころからデューク・エイセスが好きでした。
節子と一緒に最初に行った京都でのコンサートも、デューク・エイセスでした。
一緒に住まいだしてからは、ちょうどデューク・エイセスの「にほんのうた」シリーズが始まり、よく一緒に聴きました。
そのせいで、いまもデューク・エイセスを聴くとついつい心がつらくなります。
映像があるとなおさらです。
「生きるものの歌」は、たしかベトナム戦争が終わった年につくられました。
ですから、未来を歌ったものです。
しかし、改めてこの歌を聴くと、以前聴いた時とは全く違ったものに聴こえます。
それにしても、歌の力はすごいものです。
この歌の最後はこうです。
もう忘れていましたが、
思い出と歌。
世界がどんなに平和でも、悲しい夜は来る。
誰もが耐えて生きている。
思い出と歌があなたを支えてゆくだろう。
それが私の支えになるには、もう少し時間が必要のようです。
久しぶりに今日は、涙を止めきれませんでした。
おかげで、たぶん明日はすっきりとするでしょう。
最近は、涙を忘れていましたから。
なお、デューク・エイセスではないですが、次のサイトで瀬戸カオリさんが最後まで歌っているのが聴けます。
私は初めて瀬戸さんの歌を聴きましたが、思いがさらに伝わってきてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=tGxw90ruxUU
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