■節子への挽歌2628:夫婦の別れは先に旅立つ方がいい
節子
節子がいなくなってから、いろいろなことがありました。
私の生き方は間違いなく変わりましたし、考え方も変わりました。
しかし、外から見ると、あまり変わっていないようです。
変わったと思っているのは、もしかすると、私だけなのかもしれません。
今日も、久しぶりに会った人から、変わっていないねと言われました。
幸いに、今日は「良い意味」で言われたのですが、時代が変わる中で変わっていないのは、実は変わっていることでもあるのです。
人は環境の中で生きているのですから。
なぜ自分では変わったと思うのに、人にはそう見えないのか。
節子がいなくなってから、自分が見えるようになってきたのかもしれません。
しかし、見えてきた自分は、実はあんまり好きになれない自分なのです。
その、好きになれない自分へと変わっていくのが自覚できます。
それにしても、正直、自分がこれほどまでに頼りにならない存在だったかと思い知らされる毎日です。
それは、あんまり気分のいいものではありません。
節子が元気だったら、こんな自分に出会わずにすんだだろうと思います。
あまりに、節子に依存して生きてきた自分に、いささかの嫌悪を感じます。
しかし、もし立場が逆だったら、節子はきっと、もっと悲惨だったでしょう。
最近、そう思うことがあります。
夫婦の別れは、先に旅立つ方が幸せです。
つくづくそう思います。
今日はちょっとさびしい日でした。
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