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2014/11/09

■節子への挽歌2627:ナラティブ・グリーフケア

節子
私たちの周りには、たくさんの「死」があります。
テレビや新聞でも、毎日、たくさんの死が報じられています。
以前、私は、そうした報道に触れると、死んだ人への思いをはせました。
しかし最近は違います。
遺された人への思いが、まず浮かんできます。
死のリアリティは、遺された人にしかわからない。
節子との別れを体験して、そう思うようになりました。
節子が、死をどう体験したのかは、とても興味がありますが、それは間もなく私も体験するでしょう。

最近、テレビや新聞で死が報じられることが多すぎます。
事件の場合、それが詳しく報じられることに、とても違和感があります。
日常生活では死を隠しながら、縁の薄い人の死は興味本位の物語として受け止める傾向が強すぎます。
この風潮は、死への冒涜だと、私は思います。
愛する人や大事な人の死を体験すれば、そんな扱いはとてもできないはずです。
それが事件であれば、なおさらです。
他者の死を、軽々しく物語として語ってほしくはありません。

しかし、遺された人にとっては、まさに愛する人の死は物語です。
遺された人は、その別れを物語にしておかないと耐えられないのです。
すぐには受け入れがたい現実を消すために、物語として受け止める。
時間をかけて、物語が生まれてくる。
そして、生きていた時の、その人の物語も、です。

死の報道に触れると、いつも、遺された人の物語を思ってしまいます。
何かできることはないのか。
もしかしたら、私の体験がグリーフケアに役立つかもしれない。
そんな気がしてネットで調べてみました。
ナラティブによるグリーフケアがすでに行われていることを知りました。
やはりみんな考えることは同じなのかもしれません。

ナラティブの主役は当事者です。
物語れるのは、遺されたものだけに許される行為だと、私は思っています。
ナラティブの力は、大きいように思います。

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