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2014/11/22

■なぜ日本は「こんな安心なところはない」と言ってもらえるのか

立憲デモクラシーの会の本「私たちは政治の暴走を許すのか」を読みました。
岩波ブックレットの1冊で、1時間もあれば読める本です。
税込626円ですので、コーヒーを1杯我慢して、選挙前にぜひ読んでみてください。
と言っても、なかなか読んでもらえないので、私が一番、心に残った部分を引用させてもらいます。

社会思想家の西谷修さんが、山口二郎さんと杉田敦さんとの鼎談で話している言葉です。

日本に旅行する外国人はよく「こんな安心なところはない」と言います。それはなぜか。戦後の日本では、組織的に若者に人殺しの訓練をさせてこなかったからです。社会の中に攻撃性を訓練するようなシステムがなかった。しかし、社会の軍事化によってそれが変わっていく。暴力の行使、殺人や破壊が奨励されるようになり、根本的な転換が起こる。それが、いわゆる集団的自衛権の容認ということに関わっていると思うのです。
とても納得できる話です。
もっとも、日本には攻撃性を訓練するようなシステムはまだないとは言い切れません。
私は、経済の世界のあり方がとても気になっています。

政治の世界には、「常在戦場」という言葉が使われているようですが、経済においても、競争戦略重視の「常在戦場」文化が広がり深まっています。
人を豊かにするはずの、経世済民の学が、いつの間にか軍事用語で語られるようになったのは、とても残念ですが、そうした風潮は教育や文化やスポーツの世界にもどんどん広がっています。
競争と攻撃は紙一重です。
こうした風潮には、どうも違和感があります。

こうした風潮が、日本の社会を荒廃させ、これまであまりなかったような事件をすでに起こしだしています。
西谷さんは、それは憲法9条の位置づけと関係しているというわけです。
憲法9条は、対外的な戦争を抑止していたのではありません。
私たちの心の平和を守ってくれていたのです。
西谷さんのメッセージが含意するところを、多くの人にわかってほしいと思います。

集団的自衛権の容認が、日本の社会をどう変えていくか。
そうしたところまで視野において、今回の選挙に向かいたいと思います。
政治の暴走を止めるチャンスを、安倍首相は与えてくれました。
それに応えなければ、私たちは暴走に加担することになります。
争点は「経済」などではないのです。

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