■節子への挽歌2631:それでももう少し続けましょう
節子
3日間、また挽歌をさぼってしまいました。
最近、気分の起伏が大きいのと、友人知人のことが気になってしまっているとで、なんとなく落ち着かなく、挽歌も時評もあまり書く気が起きないのです。
しかし、節子のことを思い出さない日はありません。
それに、節子を思い出させることに出会うことも少なくありません。
たとえば、先日、テレビで映画「ジェロニモ」を見ていたら、こんなセリフに出会いました。
ジェロニモは妻を先になくすのですが、その時に、ジェロニモは「生きる意味を失った」というのです。
昔、見た時には、まったく気にも止まらなかったセリフです。
今回は奇妙に心に残りました。
例えば、これも映画ですが、妻を亡くした人が「一人で寝るのはさびしいですね」と言われて、「眠れないよ」という場面がありました。
私は、幸か不幸か眠れますが、さびしいことには変わりがありません。
ハワイのキラウェア火山の溶岩が家屋を焼き払ったシーンが出てくれば、節子と一緒に行った時のことを思い出します。
今日は、萩市の人に会いましたが、そういえば、萩も節子と自転車で回りました。
こんな感じで、いろいろと思いだすことは多いのです。
思い出すことが多くなったので、挽歌が書けなくなっているのかもしれません。
しかし、ここまで続いたので、なんだかやめる気になれません。
ますます内容がない挽歌になってきていますが、ともかく書き続けようかと思っています。
困ったものです。
しかしいつかまた内容がある挽歌が書けるようになるかもしれません。
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