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2014/11/05

■経世済民としての経済を思い出したい

円がとうとう114円台になってしまいました。
実体経済と切り離されてしまった通貨の需給で、円為替が決まるという仕組みが私にはなかなか理解できないのですが、通貨もまた「商品」になってしまったと考えれば当然のことなのでしょう。
人間も商品になってしまう時代ですから、それは不思議なことでないかもしれません。

しかし、為替動向は私の生活にも影響してきます。
もちろん消費税も影響してきますが、これは論理的にも感性的にも理解できます。
税の使い方には、大いに不満はありますが、賛否はともかく、理解できます。
それに比べて、円安誘導は私には理解不能です。
円為替は、私たちの働きの価値を表しています。
円高であれば、私たちの仕事が創り出す社会的価値が増えたということでしょう。
にもかかわらず、円安誘導に取り組むとはどういうことか。
素朴に考えれば、だれもが円高がいいと思うはずです。

デフレ克服が言われましたが、行き過ぎたデフレは確かに問題があります。
しかし、それを為替につなげるのは、猿ほどの思考力しかない人の発想でしょう。
働く人の仕事の価値をしっかりと評価するだけでも、デフレのマイナスは解消できたはずです。
にもかかわらず、相変わらず過労死の危険をおかしながら、自らの価値を貶めているとしか思えません。
どこか間違っているとしか思えません。

株価の上昇が、年金基金の価値を高めると言われます。
しかし、そんな砂上の楼閣に生み出された利益は、まっとうなものではありません。
上昇した株価が下がれば、元の木阿弥です。

経済は、専門家の人に任せる話ではありません。
経世済民という本義を忘れてはいけません。
民の暮らし、生活者の論理こそが必要です。
消費税増税の当否を議論する「有識者会議」には、生活者はいるのでしょうか。
私が言っているのは、きちんと生活している生活者のことです。
消費者団体のリーダーではありません。
生活保護受給者の代表も入れてほしいものです。

暴論だとまた言われそうですが、私が言いたいのは、「専門家」とか「有識者」の概念を根本から考え直す必要があるのではないかということです。
そして、「専門家」でも「有識者」でもない、私たち生活者は、もっと素直に経済を考えたいと言うことです。
中途半端に学んだ経済学の呪縛から自由になりたいものです。
宇沢さんのように、現実ときちんと向き合う人でなければ、生活の経済など分かるはずがないのではないかと思います。

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