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2014/11/25

■節子への挽歌2641:いのちのつなぎ方

節子
湯島で時間ができてしまいました。
ちょっと書き遅れている挽歌を書くことにしました。

昨夜、テレビで5歳未満の子どもの臓器移植が報道されていました。
すべてうまくいったそうで、とても安堵しました。
しかし、ドナーの家族のことを思うと心が重くなります。
どんなに複雑な思いにあることでしょうか。

以前、ドナーの家族のご夫妻とお付き合いがあり、ささやかにその活動にも関わらせてもらいましたが、今はどうされているでしょうか。
娘さんのお一人を交通事故で亡くされたのですが、一人でも欠けてしまうと家族は変質しがちです。
家族というのは、実に微妙な関係でもあるのです。
思いが深すぎて、それが逆作用することもあります。

とても仲の良いご夫妻でしたが、それぞれに重い荷物を背負っているのをいつも感じていました。
もう15年ほど前のことですが、今とはだいぶ世間の理解度も違っていて、ドナー家族は大きな精神的な負担を背負うような時代でした。
私と出会った時には、精神的にも不安定だったのだと思います。
最初のコミュニケーションはあまりうまくいきませんでしたが、すぐにお互いに心が開けました。
しかし、たぶんそれはあくまでも浅い意味の心であって、私はご夫妻の悲しみの半分もわかっていなかったでしょう。
当時、様々な問題を抱えている人たちと、できるだけ素直に、そして誠実にお付き合いさせてもらいましたが、今から思えば、まだまだ第三者的でした。
そうしたことに気づかされたのは、やはり節子のおかげです。
当事者の思いは、第三者とは全く違います。
当然ではありますが、だからこそ支え合うこともできるのです。

節子は病気でしたので、臓器移植はできませんでした。
しかし、誰かが節子の一部でも引き継いでくれていたらと思うことがあります。
いや私自身が何か引き継ぐことができなかったのだろうかとも思います。
そんなことを口にしたら、ドナー家族を傷つけるかもしれません。
でも、どこかで愛する人が生きていると思えるような気もします。

命をどうつないでいくか。
それがそのご夫妻の課題でした。
この報道をどんな思いで見ているでしょうか。

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