■「尊厳死」か「人間の尊厳性の否定」か
アメリカで、余命宣告を受けた若い女性ブリタニー・メイナードさんが、医師の支援を受けて自殺しました。
彼女は自殺予告をユーチューブで発信していたので大きな話題になっていましたが、だれも止められませんでした。
やりきれない気分です。
これは、人がもはや事物化されてしまったことを示唆しています。
消費社会論を説いたボードリヤールは、「消費社会は、高度情報化によって、すべての要素を情報化した」と述べ、現実は記号化されて、「知らない間に現実が盗まれた」と述べています。
つまりそこでは、人間さえもが事物化したというわけです。
そして、世界の状況はまさにその方向で動いているように思います。
いまや人間は、商品化するか消費機械化するかの、いずれかのように思います。
ボードリヤール風に言えば、「知らない間に人間が盗まれた」わけです。
ブリタニーさんの事例を「尊厳死」というのであれば、その概念はさらに広がってしまうでしょう。
そして、生命が事物のように、廃棄可能なものになってしまいかねません。
人は往々にして、自らの「生命」を自分だけのものだと考え、私物化してしまいがちです。
それを防ぐために、自殺を禁ずる思想が宗教として成立していました。
キリスト教が自殺を禁じているのは有名な話ですが、仏教も自殺を禁じているはずです。
「大きないのち」とか「生かされている」という発想は、いのちは個人では勝手には扱えないものだということでしょう。
私の妻は7年前にがんで亡くなりました。
最後の1か月は、本人はもとより家族も大変でした。
しかし、妻は最後まで生き抜こうとしました。
改めて妻を誇りに思います。
ブリタニーさんの自殺(私には尊厳死とは思えません)とそれを支援した人たちの自殺ほう助が世界中に映像で発信されたことで、何かとても大切なものが、壊れたように思います。
ブリタニーさんと医師が行ったことは「尊厳死」ではなく、「人間の尊厳性の否定」ではないかと、私は心身の震えをとめられません。
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