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2014/11/01

■夢を持たずに生きている人がいたら教えてくださいませんか

昨日の「人は夢だけでは生きていけない、のか?」を、フェイスブックでも紹介したら、いろいろなコメントをもらいました。
東尋坊で人命救助活動をしている茂幸雄さんには、共感してもらいました。
思ってもいなかった人からも元気づけられたと言われました。
それでちょっといい気になっていたら、少し否定的なコメントも届きました。

その一人はベターケアという雑誌の編集長の野田さんです。
こんなコメントでした。

いいね、とは言いにくいご意見です。夢だけでは生きていけないし、夢がなくても生きる意味がない。当然両方あるべきだし、両方あるのが憲法の保障する「自由で文化的な生活」ではないでしょうか。いま、夢をもつことさえあきらめなければならい境遇の人が増えていることを、十分すぎるほどよくご存じの佐藤さんのご意見であることはもちろん、わかっています。そんな状況を変えたくて、佐藤さんが奮戦なさっていることを知っているつもりです。お金よりバラ、と言える人は今、家があり、食べ物があり、服を着ている人です。人間として扱ってくれる友人たちをもっている人です。

それに対してちょっと挑発的にコメントを返しました。

夢を持たずに生きている人がいたら教えてくださいませんか。
生きるとは何かを書いたつもりです。
パンは手段、夢は目的。企業の目的は利益ではなく、事業の価値であるように。

湯島にはいろんな人が来ます。
いささか危うい人も来ますし、死を企図している人も来ます。
不安におののいていたり、悩みに襲われている人も来ます。
しかし話しているとみんな誠実に生きようとしています。
そういう人と話をしていると、例外なくみんな「夢」を持っています。
しかしいわゆる「存在論的不安」の中で、それを忘れてしまっています。
「夢」という言葉が適切ではないかもしれませんが、生きる意味を持っているということです。
とても素直な生き方をしている安冨歩さんは、その著「生きる技法」のなかで、「夢とは、人生の目的に向かう一里塚」と書いています。
一緒に話していると、「夢」に気づく人もいます。
つまり、生きていることに気づくという意味です。

お金とバラとは無縁です。もちろん夢もお金とは無縁の話です。
「パンよりも夢が大切」と表現したのは不適切でした。
お金で買えるバラや夢は、所詮お金の代替物です。
先日、湯島に来た人に訊かれて、水槽のメダカは金魚屋さんから買ったと話したら、冷たい目で見られてしまいました。
反省しました。

イエス・キリストはまさにホームレスでした。
衣服も住まいも、もちろんお金もなかった。
しかし、夢、あるいは信念、役割に気づいていました。
だから死んでも生き続けたのかもしれません。

「何かに慣れるのと、何かを感じなくなるのとは別のことだ」。
1943年にアウシュビッツで虐殺されたエティ・ヒレスムの日記の一節です。
エティが最後まで、人として生きたのは、彼女に神を救おうという夢があったからです。
フランクルが、アウシュビッツを生きのびたのも、夢のおかげかもしれません。
ちなみに、現代において「家がなく、食べ物もなく、服もない人たちの世界」、いわゆる「ホモ・サケル」の世界は、収容所以外のなにものでもありません。
そうであればこそ、夢が必要なのです。
衣食住に満ち足りた人には、夢は不要かもしれません。
夢を持った人たちの強さは歴史が教えてくれています。
夢に価値を見出さない社会は、生きにくい社会ではないかと危惧します。

念のために言えば、夢があれば、必ず衣食住は手に入ります。
これもまた安冨歩さんが「生きる技法」のなかで語っています。
アマルティア・センが証明したように、世界に食糧が不足しているわけではありません。

また野田さんからコメントをもらいました。うれしい限りです。

夢の大切さをしっかり知っている人は、もちろん、何を手放しても夢をしっかり保持し、それだから、友達もいて衣食住も手に入るのでしょう。でも、自覚的な夢をもたない人たちは、夢をあきらめがちではないでしょうか。辛い状況の中でも夢を持ち続けることがきできる人は、やっぱり、自覚的だったり、夢への気持ちが強かったりするのではないかと思うのです。辛い状況のなかで夢をあきらめてしまう人たちに、「夢をあきらめるな」というのは難しいのではないか、と私は思ってしまいます。

論争好きな私は、また反論してしまいました。

「自覚的な夢をもたない人たちは、夢をあきらめがちではないでしょうか」とは観察者の見方ではないでしょうか。私は「夢をあきらめるな」などとは決して言いません。夢は本人にしかわからないからです。私がさまざまな人たちと付き合っていて感ずるのは、たぶん野田さんとは正反対の印象です。お金持ちには友達がいないなどというつもりはありませんが、経済的に恵まれない人たちであればこそ、友だちを大事にします。私が今、収入があまりなくても生きていけるのは、そうした人たちの支えです。

さてこの論争はまだ続くでしょうか。
そして、みなさんはどう思われるでしょうか。
論争好きなのも困ったものです。
友人を失いかねませんし。
そういえば、昨日は、ドラッカーに感動した若者と論争してしまいました。
私はドラッカーにはきわめて批判的なのです。

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