■「小さな差異のナルシズム」
選挙に向けて、各党のメッセージが出され始めてきました。
野党はうまく連携できたら、自公よりもたくさんの当選者を出せる素地はありますが、なかなか連携は進みません。
私は、逆転大波乱の可能性はゼロではないと思うのですが、本気でそう考えている人はあまりいないようです。
しかし、むしろそうした展望を持ってこそ、選挙の意味はあるのだろうと思いますが。
思わなければ、何も始まりません。
社会学者のリチャード・ソネットは、「消費政治」という言葉を使って、経済のかたちと政治のかたちを比べています。
一言で言えば、ポピュリズムにつながる話ですが、経済が「小さな差異」を大仰にブランド化したのと同じことが政治でも起こっていると指摘しています。
成熟社会の政治とはそういうものかもしれませんが、成熟社会の政治であればこそ、その次を目指すべきだと私は思っています。
小さな差異ではなく、大きな差異こそを問題にすべきなのです。
しかし、経済で現状の消費社会に馴化されてしまった私たちには、それがなかなかできません。
大量生産の時代においては、商品の基本的設計はほとんどすべて同じです。
まずは標準的な製品が基本に置かれます。
標準化することで、世界的な広がりでの分業ができる単純労働化が実現したわけです。
そして、最後の仕上がりに、ちょっとした味をつけることで、高級品やブランド品がつくられます。
成熟社会の消費者は、そのわずかばかりの「差異」に高いお金を払うわけです。
これが昨今のマーケティングやブランドの実体です。
これと同じことが政治の世界でも展開されています。
アメリカの共和党と民主党は、その基本政策においてはほぼ同じです。
同じですから、政権交代可能な二大政党と言われるわけです。
そして日本もそれを目指してきたわけです。
いまの日本の政治状況は、一強多弱と言われるように、野党がたくさんありますが、その多くはかつての民主党から別れた人たちです。
そしてその民主党でさえ、かつての自民党から出た人が何人もいます。
そうしたことからもわかるように、彼らの主張は実はそう変わらないわけです。
ただし、大きな問題では明らかに違うところもあります。
たとえば、原発や憲法9条です。
しかし、最近の日本では残念ながらそうした大きな論点は政治の争点にはなりません。
国民は目先の足元にしか関心はなく(そうさせたのも経済と政治の結果です)、目先の生活に直接影響があると思い込んで、社会保障とか経済成長に目を向けているからです。
そして、そうした面では、自民党も含めて、ほとんどの政党が基本的には同じなのです。
つまり、各党の政策の差異は、まさにフロイトの言う「小さな差異のナルシズム」なのです。
にもかかわらず、彼らは連携できません。
そこに、私たちの不幸があります。
政治もまた、消費経済化してきているのが恐ろしいです。
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